出町柳駅周辺
光明山摂取院常林寺 浄土宗の寺院
光明山摂取院常林寺と号する浄土宗の寺院である。 天正元年(1573)、念仏専修僧、魯道(ろどう)によって開創され、当初は、寺町荒神口(上京区)に建てられていた。創建時より、知恩院とゆかりが深く、本末制度が確立したときには、総本山知恩院の役番としての地位を占めていた。しかし、寛文11年(1671)には、寺町の大火により類焼し、堂宇を悉く焼失した。その後、現在の地に移転し、元禄11年(1698)、英誉(えいよ)によって本堂が再建された。また、幕末の頃当寺は、勝海舟が宿坊として利用していたといわれている。 本堂には、本尊の阿弥陀三尊像が安置され、地蔵堂には、古くから若狭街道を往来する人々の信仰を集めたといわれる世継子育(よつぎこそだて)地蔵尊が祀られている。 また、当寺は、通称、「萩(はぎ)の寺」の名で人々に親しまれており、初秋には、紅白の萩の花が、境内一面に咲き乱れる。
駒札より
若狭街道 鯖街道
若狭街道は海を持たない京都の人々が鮮魚を得るために不可欠な道であった。若狭から運ばれた物資の中で特に鯖が有名で鯖街道の別名がある。
長徳寺
浄土宗の寺院。山門脇に植えられている早咲きのオカメサクラは有名。
写真家 鴨川逍遥(甲斐扶佐義)
鴨川と高野川が合流する三角地帯 鴨川デルタ
辨財天 出町妙音堂
辨財天 出町妙音堂
本殿の本尊は青龍妙音弁財天画像で、西園寺公衡(1264~1315)の長女西園寺寧子(大光明院殿・広儀門院)が、第93代後伏見天皇の女后に輿入れされた折に、西園寺家第二伝の念持仏として持参されて以来、伏見離宮に祀られ、光厳、光明、崇光天皇と伝承されて来た霊像である。その後享保年間、伏見宮家第14代貞建(さだたけ)親王に至って伏見邸が河原町今出川下がる出町北鴨口に移転され、同時に本尊も奉遷されたのであるが、更に明治初年東京へ遷座の後、京洛の旧信徒再三の請願に依って、再び現在の地に堂宇を建て奉安せられた。
世に伏見御所の弁財天と称され、京都七福神の一つとして特に技芸上達、福徳円満の勝益をもたらすものである。
本寺の本尊は弘法大師の筆と云われる青龍妙音辨財天で、崇光院御念持の霊像である。 今から約六百年前、伏見宮の御始祖栄仁親王の伏見御在住の時に御殿内に此の尊像を奉安せられた。 爾来皇室の御尊信篤く、文化年間に貞教親王は出町北鴨口に之を奉遷せられ、更に明治初年東京遷座の後、此の旧地に再建せられた現堂宇へ奉安せられた。 世に伏見御所の辨財天といひ、京都七福神の一に数へられる。