世界遺産
通称:春日大社(かすがたいしゃ)
公式サイト: https://www.kasugataisha.or.jp
春日大社 禰宜道
春日大社 禰宜道ねぎみちを散策することに。禰宜道に入るのに都合の良い駐車場にとめる。春日大社最寄駐車場とグーグルマップで検索したところ使用。世界遺産春日大社の景観に配慮して料金箱式駐車場になっている。非常に便利なところにあり、今後も使用したいと思う駐車場。
料金箱式駐車場
広い通りを上ってきて、鋭角に左折すると駐車場があります。駐車場先の通りは狭い通り、要注意。先に志賀直哉旧居があります。
新薬師寺へ
近くに新薬師寺もあります。そばに平日だと330円、土日祝は990円の安い駐車場があります。春日大社、新薬師寺辺を行かれる方には便利でいいですが、東大寺、興福寺に行かれる方には戻ってくるのが大変。
この暑さの中、鹿も大変そう。子育ての時期で危険とのことです。
上の禰宜道中の禰宜道下の禰宜道
駐車場から上(東)に行くとすぐ中の禰宜道の入り口が有、さらに上っていくと上の禰宜道-奥の院道の入り口があります。上の禰宜道から若宮神社へ歩いていきます。
春日大社 上の禰宜道
上の禰宜道(かみのねぎみち)高畑の社家町から春日の禰宜(ねぎ)=神官たちが春日大社へ通った道で、若宮神社へ通じています。 奥の院道(おくのいんみち)は、若宮神社より昔は「奥の院」と呼ばれていた紀伊神社へ通じる道です。
春日大社 上の禰宜道
上の禰宜道
上の禰宜道 奥の院道への入り口
上の禰宜道 奥の院道 入口
上の禰宜道奥の院道左が上の禰宜道
上の禰宜道かみのねぎみち:かつて高畑たかばたけの社家町から春日の禰宜ねぎ(=神官)たちが春日大社へ通った道で、高畑丹坂町から摂社若宮わかみや神社へ通じる。* 社家(しゃけ)とは、日本の身分のひとつ。代々特定神社の奉祀を世襲してきた家(氏族)のことである。社家は奉職する神社の近くに家を構えることが多く、社家の家が集まった所は「社家町(しゃけまち)」と呼ばれた。奥の院道おくのいんみち:名の由来は、摂社紀伊きい神社のことを「奥の院」と言われていたことによる。紀伊神社へ通じる道で、紀伊神社からは更に北西へ摂社若宮わかみや神社に通じる。
イチイガシ巨樹群
公衆トイレイチイガシ巨樹群
春日大社が創祀そうしされた八世紀頃には、御蓋山みかさやまの麓ふもとから飛火野とびひのにかけてイチイガシを優占種ゆうせんしゅとする照葉樹林しょうようじゅりんがひろがっていたと考えられている。 現在、春日大社境内にはそれを物語るように幹周3mを越えるイチイガシの巨樹が多く生育している。* 創祀: その場所で神様を最初にまつること。 その神社の起こり。
* 飛火野(春日野):御蓋山(春日山)のふもとの一部。奈良時代ここで烽火のろしを上げたことに由来する。* 優占種:生物群集や植物群落内で,量的にまさり,最も大きな影響力をもって群全体の性格を決定づけ,代表するような種をいう。* 照葉樹林(laurel forest): 森林の群系の一種で、温帯に成立する常緑広葉樹林の一つの型を指す。構成樹種に葉の表面の照りが強い樹木が多いのでその名がある。
公衆トイレ横の巨樹も実際見ると迫力がある。小鹿がとことこ歩いて行ってしまった。
金龍神社 鳥居
金龍神社 鳥居
金龍神社の鳥居が見えたので先に行ってみようと思ったが、何か多くの人が集まっていたので後で回ることにして先に夫婦大国社に向かう。
春日大社 奥の院道
「奥の院」と呼ばれていた紀伊神社へ通じる道、奥の院道を龍神神社から紀伊神社まで行って、若宮十五社めぐり 第15番納札社 夫婦大国社まで戻ります
春日大社 夫婦大国社
夫婦大国社 日本有数の恋愛のパワースポット 日本で唯一、夫婦の大国さまを祀る縁結びスポット。
春日大社 金龍神社
金龍神社(きんりゅうじんじゃ)若宮十五社めぐり 第14番納札社 お百度(おひゃくど) 初辰祭(はつたつさい) 後醍醐天皇聖蹟 若宮十五社めぐり 第5番&第6番納札社 若宮十五社めぐり 第7番&第8番納札社
春日大社 夫婦大国社
夫婦大国社(めおとだいこくしゃ)
日本有数の恋愛のパワースポット
1300年の歴史を持つ春日大社には、4柱の神さまを祀る国宝の本殿のほか、摂社・末社が合わせて61社あります。その一つである「夫婦大国社」は、日本で唯一、夫婦の大国さまを祀る縁結びスポット。
若宮神社
上の禰宜道かみのねぎみちを高畑町から歩いてきて、夫婦大国社にまず参拝。すぐ南側となりに立派な若宮わかみや神社があります。夫婦大国社は、周辺神社を順にお参りする「若宮15社めぐりわかみやじゅうごしゃめぐり」の申し込み場所であり、最後にお参りする第15番納札社となっています。また第14番納札社 金龍神社のお百度参ひゃくどまいりの申し込みなども夫婦大国社で行うなど、周辺社の社務所的な役割もしている。
若宮15社めぐりの申し込み場所&第15番納札社
若宮神社周辺は昔、参詣に訪れた人々が様々な思いを胸に、神めぐりをした場所として伝えられております。この辺りは、人が生涯を送る間に遭遇する様々な難所をお守りくださる神々が、若宮様を中心にお鎮まりになられております。ご参詣の皆様にも、ぜひこの若宮十五社を巡拝していただき、人の一生をたどりながら、自身の生涯の安泰を心を込めてご祈願ください。日本で唯一ご夫婦の大国様をお祀りした夫婦大国社は、古く平安時代に出雲大社のご神霊をお迎えして2体のご神像を彫刻したことに始まります。以来900年間、霊験もあらたかにお鎮まりになり、良縁・夫婦円満を願って叶えられぬことなしと参拝大いに賑わってまいりました。このように各お社には、それぞれにご由緒があり、素晴らしいご神徳を拝することができるのです。 どうか一人でも多くの方がこの十五社のお社とご縁を結ばれ、神々様のご神徳によって幸多き素晴らしい人生を歩まれますことを祈念し、「若宮十五社めぐり」のご案内をいたします。若宮15社めぐり公式サイト
手水舎 水占い
手水舎水占
夫婦大国社は御祭神として、大国主命おおくにぬしのみこととその妻である須勢理姫命すせりひめのみことをお祀りする、日本で唯一の「大国様ご夫婦」をお祀りする神社で、基本的には夫婦円満 縁結びなど、家庭円満のご利益がある神社ですが、今は縁結び、恋愛成就の聖地として特に女性に人気のある有名スポットとなっています。水に浸すと占い結果がわかる「水占」も人気の一つ。
ピンクのハート型の絵馬&杓子奉納
杓子しゃくし奉納絵馬
須勢理姫命像は、手にしゃもじをもち、頭に洗濯用の桶をのせた姿をしていることから、奉納できる「しゃもじ」があり、台所仕事の上達などを祈願する人も。ピンクのハート型の絵馬は有名で女性に大人気。
次は第14番納札社 金龍神社(南)へ行ってみます。
春日大社 若宮神社
第1番納札社 若宮神社の本殿と拝舎 春日若宮おん祭、若宮神社細殿及び神楽殿一棟について。 第3番納札社 兵主神社、 第4番納札社 南宮神社、若宮大楠など
春日大社 金龍神社
金龍神社(きんりゅうじんじゃ)若宮十五社めぐり 第14番納札社 お百度(おひゃくど) 初辰祭(はつたつさい) 後醍醐天皇聖蹟 若宮十五社めぐり 第5番&第6番納札社 若宮十五社めぐり 第7番&第8番納札社
春日大社 金龍神社
金龍神社(きんりゅうじんじゃ)
若宮十五社めぐり 第14番納札社
御祭神:金龍大神きんりゅうおおかみ 様 開運財運をお守りくださる神様。金財運の守護神。
お百度(おひゃくど)
金龍神社でのお百度参りは御殿を何度も廻り祈願をこめるお参りです。御殿を100回廻って祈願をこめれば良いとされます。通常100日かかるお百度参り祈願を、金龍神社では1日で祈願できるのです。* お百度:民間信仰の一種で、通常、神様に願いを聞いてもらうために神社で100回お参りをする風習。何度もお参りの回数を重ねることで願いが成就するといわれています。
初辰祭(はつたつさい)
毎月一番最初の辰の日、午前十時より初辰祭が執り行われます。「はつたつ」は「発達」に通じ、諸願成就しょがんじょうじゅが祈られます。祭典中に神職が先導し、大祓詞おおはらえのことばを奏上そうじょうしお百度を奉修致します。* 諸願成就:神仏へかけたさまざまの願いが成就すること。願いがかなうこと。* 大祓詞(おおはらえのことば)は、神道の祭祀に用いられる祝詞(のりと)の一つである。神を祭り神に祈るとき、(神主が神前で)申し述べる古体の文章。* 奏上(そうじょう):天子・国王などに申し上げること。上の禰宜道から鳥居に向かって上ったときに人がいっぱいのは、8月5日(水)なので、初辰祭中だったようです。
後醍醐天皇聖蹟
後醍醐天皇聖蹟
金龍神社は後醍醐天皇ゆかりのお宮として伝えられています。禁裡の御鏡が奉安されたがゆえに別名「禁裏の社」とも呼ばれています。*禁裏/禁裡(みだりにその裡(うち)に入ることを禁ずるの意から) 天皇の住居。 時代は鎌倉幕府を滅亡へと至らせた「元弘の乱」。*後醍醐天皇が企てた鎌倉幕府討伐の計画。未然に露見し、天皇は笠置(かさぎ)寺や有王山中に逃れたが、翌年捕らえられ、隠岐(おき)に流された。幕府滅亡の直接の動因となった。1331年8月24日夜、後醍醐天皇は京から奈良へ逃走。まずはに東大寺に到着し、笠置山(京都府相楽町笠置町)に逃げ延びます。その間に春日大社へも立ち寄り、禁裏の鏡を奉安し、天下泰平のご祈祷をしたのがこの金龍神社の起りと言われています。
若宮十五社めぐり 第5番&第6番納札社
夫婦大国社から奥の院道(東側)にでて金龍神社(南)へ向かう途中すぐに、若宮十五社めぐりの第5番&第6番納札社がありました。
広瀬ひろせ神社葛城かつらぎ神社
若宮十五社めぐり第5番納札社 | 広瀬ひろせ神社倉稲魂神うかのみたまのかみ様 :おいなり様とご同神で衣食住をご守護くださる神様
第6番納札社 | 葛城かつらぎ神社一言主神ひとことぬしのかみ様 :心願成就の神様 一言(一つの祈願)を願えば叶えてくださるという
若宮十五社めぐり 第7番&第8番納札社
少し南に進んでいくと、金龍神社に着く前に第7番&第8番納札社(現在修繕工事中)があります。
第7番納札社 | 三十八所さんじゅうはっしょ神社伊弉諾尊いざなぎのみこと様 伊弉冉尊いざなみのみこと様 神日本磐余彦命かむやまといわれひこのみこと様: 正しい勇気と力をお授けくださる神様修繕工事中第8番納札社 | 佐良気さらけ神社蛭子神ひるこのかみ様(えびす神様):商売繁盛、交渉成立をお守りくださる神様今は修繕工事中で仮殿に参拝。
金龍神社 奥の院道から
さらに奥の院道を南に進み、紀伊神社まで行きます。
春日大社 奥の院道
奥の院道 紀伊神社
「奥の院」と呼ばれていた紀伊きい神社へ通じる道、奥の院道を龍神神社から紀伊神社まで行って夫婦大国社めおとだいこくしゃまで戻ります。
若宮十五社めぐり 第13番&第9番納札社
第十三番納札社枚岡ひらおか神社揺拝所第9番納札社春日明神かすがみょうじん遥拝所
龍神神社のすぐそばに第13番納札社 枚岡ひらおか神社揺拝所ようはいじょがあります。天児屋根命あめのこやねのみこと 様 比売神ひめがみ 様: 延命長寿の神様*揺拝所:遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむこと。
少し南に行くと第9番納札社 春日明神かすがみょうじん遥拝所があります。春日皇大神かすがすめおおかみ 様: ひらめきの神様
若宮十五社めぐり 第10番納札社
第10番納札社 宗像むなかた神社
きれいな苔が薄っすらと生えている石畳を歩いていると神聖な感があります。第10番納札社 宗像むなかた神社市杵島姫命いちきしまひめみこと 様 : 諸芸発達をお守りくださる、七福神の弁天様とも伝えられる神様で天河弁財天と伝えられています
巨樹
途中に巨木が倒れています。幹周余裕で3m以上ある巨樹です。
若宮十五社めぐり 第12番納札社
紀伊神社手前に第12番納札社 伊勢神宮いせじんぐう遥拝所があります。天照坐皇大御神あまてらしますすめおおかみ様(内宮) 豊受大御神とようけのおおみかみ様(外宮): 天地の恵みに感謝する所
若宮十五社めぐり 第11番納札社-紀伊神社
「奥の院」と呼ばれていた紀伊きい神社は樹木を崇拝する神社。
龍王珠石りゅうおうじゅせき
第11番納札社 紀伊神社
五十猛命いたけるのみこと 様 大屋津姫命おおやつひめのみこと 様 抓津姫命つまつひめのみこと 様:万物の生気、命の根源をお守りくださる神様
御祭神
五十猛命は大屋津姫命と抓津姫命の兄神で、三柱は素盞鳴命すさのおのみことと櫛名田比売命くしなだひめの御子神になります。御祭神は紀伊国へ樹木の種をもたらした神であるとされる。樹木の神様、林業の守護神として崇められる。
龍王珠石
善女竜王が尾玉を納めた所と云われています。伝説では、善女竜王はかつて興福寺の猿沢池におりましたが、釆女の入水を嫌い、春日山に移り住んだが、その後、室生の竜穴に移り住んだ。*善女龍王(ぜんにょりゅうおう)は雨乞いの対象である竜王のうちの一尊。八大竜王の一尊。
2019年3月に宇陀の龍穴神社に行ったときの写真
夫婦大国社まで、来た道戻ります。
第1番納札社 若宮わかみや神社
夫婦大国社まで戻ってきました。次は北隣りに建つ第1番納札社 若宮わかみや神社に参拝します。
春日大社 夫婦大国社
夫婦大国社 日本有数の恋愛のパワースポット 日本で唯一、夫婦の大国さまを祀る縁結びスポット。
春日大社 若宮神社
若宮神社(わかみやじんじゃ)
若宮十五社めぐり 第1番納札社
御祭神: 天押雲根命あめのおしくもねのみこと 様 :正しい知恵をお授けくださる神様
若宮神社 本殿 拝舎
若宮神社について(春日大社参道にある)
摂社せっしゃ若宮わかみや神社は平安時代、時の関白・藤原忠通ただみち公が中心となり、鳥羽上皇のご要請・御心遣いを頂き、社会の安定と人々の幸せを実現するため、春日大社の御子神みこがみ(若宮)様を、御本社(大宮)の南方百メートル隔てた御蓋山みかさやま麓の浄地じょうちに新しい社殿を創建し、お遷りおうつり頂きお祀り申し上げたのが若宮神社の始まりです。*鳥羽天皇:堀河天皇の皇子。子の崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の3代28年に渡り院政を敷いた。*御子神:神社において親子関係にある神が祀られる場合、子に当たる神のこと。1135年2月27日、その待ちに待った御遷座ごせんざの当日、京よりは鳥羽上皇の春日御幸ごこうがあり、藤原忠通公やその父である前太政大臣の藤原忠実ただざね公はじめ、数十人が随従する錚々そうそうたる大行列で奈良に下向、国家安泰を願うに相応しい厳粛な儀式が執り行われました。*遷座:天皇または神体・仏像の座を他の場所にうつすこと。*御幸(ごこう、みゆき)(天皇の「行幸」に対して)上皇・法皇・女院の外出。
御祭神であります若宮様は、春日大宮の四柱の神様のうち、第三殿の天児屋根命あめのこやねのみこと様、第四殿の比売神ひめがみ様御夫婦の御子神みこがみ様として平安時代中期となる1003年、御誕生なされた神様です。その後、春日大宮で五番目の御本社格の神様(五所御子ごしょのみこ)としてご一緒にお祀りを申し上げておりましたが、その若々しい優れた霊験でもって、より人々をお救いされる御力を発揮頂くべく、多くの人々の願い、尽力で若宮神社の創建が叶いました。
当時、気候不順不作で困っている人々の為に若宮様は絶大な御霊験を発揮され、すべての禍いわざわい事を祓いはらい去り、その御加護により好天にして作物豊饒ほうじょうとなり、万民ことごとく歓喜し踊ったと記されています。それ程に絶大な御力を発揮され、篤いあつい崇敬すうけいが寄せられてきた、今日では人々の生命力を増進させ、正しい知恵をお授け下さる神様として知られる、日本を代表する神社です。
春日若宮おん祭
春日大社の摂社である若宮の御祭神は、大宮(本社)の第三殿天児屋根命と第四殿比売神の御子神であり、その御名を天押雲根命と申し上げます。平安時代の中頃、長保五年(1003年)旧暦三月三日、第四殿に神秘な御姿で御出現になり、当初は母神の御殿内に、その後は暫らく第二殿と第三殿の間の獅子の間に祀られ、水徳の神と仰がれていました。 長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済の為若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まりです。https://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/wakamiya.html
若宮紅梅
若宮紅梅は1581年 大和長谷寺はせでらにある紀貫之きのつらゆきの名紅梅「人はいさ」の穂木から接ぎ木した梅の木とのこと。*紀貫之:平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。『古今和歌集』の選者の一人。*接ぎ木:植物体の一部分(枝,芽,根)を他の個体に接着させ,両者を癒合させる技術。接木植物の台となる部分を台木といい,台木に接着させる部分を接穂または穂木という
若宮神社細殿及び神楽殿一棟
1135年創建。北(向かって右)より三間を細殿ほそどの、一間を御廊おろう、六間を神楽殿かぐらでんといい、三つの建物が一棟に合わさった建物であり、平安末期の寝殿造の遺風を伝えている。諸祭典に社伝神楽かぐらがここで奏そうせられる。*寝殿造:平安時代に完成した貴族住宅の様式。
八房藤(やつふさふじ)
八房藤やつふさふじ春 5月頃
八房藤は5月頃に咲くみたいので、また来年見頃な時に参拝したいと思います。
若宮十五社めぐり 第3番&第4番納札社
第3番納札社 兵主ひょうす神社大己貴命おおなむちのみこと 様 :延命長寿をお守りくださる神様
第4番納札社 南宮なんぐう神社金山彦神かなやまひこのかみ 様 :金運のご守護くださる神様
若宮大楠
若宮大楠わかみやおおくす 若宮神社の北側にある巨樹、幹周11.46m。圧巻である。”神功皇后じんぐうこうごう お手植えと伝えられる。”と書かれているが、神功皇后の生年月日が西暦169年とでてくるので、何年前の話? 1800年ぐらい前に植えられた?
御間道おあいみちを通って春日大社大宮へいきます。
春日大社 御間道
御間道(おあいみち)
御本社(大宮)と若宮わかみやとの間にある道なので、御間道「おあいみち」と呼ばれています。 若宮神社から春日大社に向かいます。
御間型灯籠 (おあいがたとうろう)
御間型灯籠 (おあいがたとうろう)
御間道の左右に並ぶ燈籠のこと。檜で出来た立方体の火袋が特徴的です。
若宮様への燈籠奉納
また、若宮様の御加護に感謝して燈籠とう ろうの奉納が始まり、やがて若宮神社と御本社〔大宮〕とを結ぶ御間道おあいみち両脇には鎌倉時代後半より続々と石燈籠が奉納され、室町時代の、全国の神社仏閣に奉納された燈籠の実に三分の二がここにあり、春日の神々に対する篤い信仰を物語っています。こうした若宮神社参道への燈籠奉納が嚆矢こうしとなり、本来御神前・御仏前に備える燈籠が、御本殿・御本堂へと続く参道に並べる習慣が全国へ広がって行きました。*嚆矢:物事のはじめ。やがて燈籠奉納は春日境内全域に及び、今日までに奉納された約三千基もの燈籠は量質ともに日本一であり、これが日本中の石燈籠の多くが、春日燈籠と呼ばれる所以です。
若宮十五社めぐり 第2番納札社
第2番納札社 | 三輪みわ神社少彦名命すくなひこなのみこと 様 :子孫の繁栄 子供の無事成長をお守りくださる神様
摂社 本宮神社揺拝所 御蓋山
御祭神: 武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様 経津主命(フツヌシノミコト)様 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)様
御神徳: 御蓋山みかさやまは太古の昔より霊山と崇められる神奈備かむなび(神様が御鎮しずまりになる所)で、768年御本社第一殿の御祭神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様が白鹿の背に御乗りになり、頂上の浮雲峰うきぐものみねに天降られたあまくだられ神蹟しんせきである。毎月一日にはこのところに神饌しんせんを供しきょう、頂上の本宮神社を遥拝する。*天降(あまくだす): 天上界から地上界に降りること。*神饌(しんせん): 神に供える飲食物の総称。*供する(きょうする):神仏などに、そなえる。ささげる。
三笠山(若草山)と御蓋山(春日山)
江戸時代以降、春日大社の東にある御蓋山(みかさやま)のみならず、若草山も「三笠山(みかさやま)」と呼ばれるようになり、ややこしくなる。そのため現在は、春日山の「みかさやま」には「御蓋山」の名称が使われ、「3つの笠」が重なっているようにみえる若草山(若草山と花山と芳山)を「三笠山」と通常呼ぶ。
春日大社の南門桜(しだれ桜)
南門桜(しだれ桜)春日大社の南門(楼門)しだれ桜満開時
春日大社 参道
参道 一の鳥居から南門
一の鳥居
一の鳥居: 平安初期の創建と伝え、1063年の記録に初見する。現在の形式は明神みょうじん形で桶側おけがわ式に檜ひのき厚板十六枚を張り立てて円柱としている。*桶側おけがわ:桶の側面の板*鳥居の形は大きく分けて神明しんめい形と明神みょうじん形がある。9割ぐらい明神形。
一の鳥居からまっすぐ西に進んでいけば、三条通りに入り猿沢池、興福寺の横をぬけてJR奈良駅まで続いています。
影向の松(ようごうのまつ)
飛火野 クスノキ 明治天皇玉座跡
ムクロジの木
遠くからみると一本の巨樹に見えるが実際は3本のクスノキであり、樹齢は100年とされる。明治41年(1908)に奈良県で行われた陸軍の大演習に際して、飛火野で催された饗宴に明治天皇が臨席され、その玉座跡に記念植樹されたのがこの木である。
春日荷茶屋
春日荷茶屋かすがにないぢゃや: 名物 万葉粥まんようがゆや柿の葉寿司など人気。
江戸時代末期に春日大社境内において、てんびん棒に茶箱と茶釜をかけて、 赤膚焼の皿に「火打焼」という餅菓子を盛りました。火吹き竹で火をおこし、参拝客に茶を振る舞っていた「荷茶屋」が当時名物だったと 「大和名所図会」や他の書物にもあります。浄らかな火で煮炊きしたものを食することで、身心を浄火させてから参拝した清めの茶屋です。https://www.kasugataisha.or.jp/ninaijyaya/奈良市の赤膚山には赤膚焼の窯元が現在も多数あります。
赤膚焼の窯元
萬葉植物園
荷茶屋 萬葉まんよう植物園 休園期間:令和2年4月14日(火)~令和3年4月中旬まで(予定)
春日大社 国宝殿 駐車場
春日大社の駐車場から参道に入ると二の鳥居の手前にでてきます。
二の鳥居
世界遺産 石碑
車舎(車やどり)
天皇や勅使といった方々が春日大社に参拝される際に、牛車・御所車などを留め置く場所。
手水舎 祓戸神社
祓戸はらえど神社 瀬織津姫せおりつひめの神様: 祓はらえの神様。心から悔い改めて祈るとき、罪をお祓いくださる神様なので春日大社ご参拝の方は手水後、まずこちらの社で参拝して身心清浄してくださいとのこと。
榎本神社
着到殿
916年 創建。春日祭の折りに勅使(天皇のお使い)が着到の儀式を行うところで、天皇行幸の際には行在所あんざいしょとしても使われた。南(参道側)が正面であるが、東側を入り母屋の葺き下しふきおろしとし、そこから出入りしている。*行在所:天皇が外出したときの仮の御所*葺き下し:母屋の屋根を延長して、付属する建物の屋根にすること。また、そのような屋根。
春日大社 南門から本殿へ
春日大社 南門 参拝所
春日大社 南門 春日大社最大の楼門 神石 幣殿・舞殿 砂ずりの藤 直会殿 (なおらいでん)西回廊 連子窓れんじまど 動画
春日大社 南門 参拝所
南門 参拝所 回廊
南門 春日大社最大の楼門
御間道から参道から
御間道 (おあいみち)から南門に近づくと右手に大きなしだれ桜の木があり、桜見の時期には楼門としだれ桜の綺麗な景観が見れます。参道からくると階段を上がり、真正面から南門を見ることになります。
南門は春日大社の南回廊にあり、表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、高さは12mあり春日大社最大の楼門です。平安時代中期頃藤原氏の長者や摂関による春日詣がはじまり、その際の参向さんこう門とされました。廻廊が作られた頃には現在のような2階建ての立派な楼門となり、春日大社の正門としての性格を持つようになりました。*高位の人の所へ出向くこと。参上。https://www.kasugataisha.or.jp/guidance/index/#modal-15
外から内から
春日大社の御祭神
御祭神: 第一殿 武甕槌命(タケ ミカ ヅチノ ミコト)様 第二殿 経津主命(フ ツ ヌシノ ミコト)様 第三殿 天児屋根命(アメノ コ ヤ ネノ ミコト)様 第四殿 比売神(ヒ メ ガミ)様春日大社は、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って768年、御蓋山の中腹のこの地に社殿を造営し、四柱の神々様を併せお祀り申し上げたのがはじまりです。 この̪四柱の神々様は、それぞれ壮麗な春日造のご本殿(国宝)に鎮座されており、春日かすが皇すめ大神おおかみ様、春日かすが大明神だいみょうじん様と尊称され、崇敬すうけいを集めてまいりました。 今も昔と変わらず、朝夕の御饌祭みけさいをはじめ、年間二千二百余度よどのお祭りが行われ、日本の国はもとより、世界の平和、万民の幸福、共存共栄が祈りつづけられております。 *御饌(みけ)=神饌(しんせん):日本の神社や神棚に供える供物のこと。
神石
この石は、太古の昔、神様の憑代(よりしろ)として祀られた「磐座いわくら」であるとも、若宮神社のご祭神:赤童子がこのところより現れたといわれる「出現石」、また奈良時代の宝亀3年(772年)に起きた落雷により落下した社額を埋めた「額塚」等諸説ある。*憑代:神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで、神体、神域などを指す。*磐座:古神道における岩に対する信仰のこと。 信仰の対象となる岩そのもののこと。*社額:建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額
奈良公園の鹿:春日大社の祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は鹿島神社(茨城県)から神鹿に乗ってってやってきたと伝わるため、鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきました。
南回廊
幣殿・舞殿 - 参拝所
幣殿・舞殿幣殿・舞殿
春日大社本殿へ向けての「参拝所」として多くの参拝者で賑わうところですが、拝殿ではなく、幣殿・舞殿と言います。
南門を潜ると正面にある建物で、東側2間を幣殿へいでん、西側3間を舞殿ぶでんといいます。幣殿は天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納める建物であり、天井板は格(ごう)天井(てんじょう)となっていて舞殿と区別しています。舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物であり、また雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所です。https://www.kasugataisha.or.jp/guidance/index/#modal-05
砂ずりの藤
鹿の絵馬
絵馬 how to offer鹿の絵馬
直会殿 (なおらいでん) 慶賀門 灯籠
直会殿 (なおらいでん)
西回廊 内侍門 宝庫
慶賀門から出て西回廊を北へ
西回廊 連子窓れんじまど 動画
酒殿・竃殿 (さかどの・へついどの)
酒殿竃殿
桂昌殿 遣唐留学生阿倍仲麻呂公 四脚門
桂昌殿けいしょうでん遣唐留学生阿倍仲麻呂公 四脚門しきゃくもん
水谷九社めぐり 祈祷所から水谷神社へ
春日大社 水谷九社めぐり
春日大社 水谷九社めぐり 御祈祷所 総宮神社 一言主神社 神仙境 龍王社 水谷神社 水谷神社の寄生木 水谷茶屋
春日大社 水谷九社めぐり
御祈祷所 水谷九社めぐり
春日夫社境内の北を流れる水谷川は、神山春日山から湧き出る聖なる川て、平城京をはじめ流域に住む人々を潤す生命の流れとして大切にされてきました。この水谷川のほどりに鎮座する水谷神社は、御本社・若宮に次ぐお社て、その周辺は古来、龍神信仰が盛んな場所てあリました。御創建千ニ百五十年を迎えることを記念して、百五十年ぶりに再興された龍王社は、勅額ちょくがく門を備えた安居屋あんごのやの鎮守社ちんじゅしゃで、龍神信仰の拠点でもあリました。当社ご参拝の折には、この龍王社とあわせ水谷川の清き川辺に鎮まる九つのお社を巡拝し、ご自身の運気が天に昇る龍のごとく上昇し、福徳を授かりますようご案内いたします。*勅額ちょくがく:皇帝・天皇などの為政者が国内の寺院に特に与える直筆の書で記された寺社額*鎮守社:神仏習合の結果、寺の鎮守のために建立された神社。中世後期以降、鎮守の神を祀まつる神社一般をさすようになった。
第1番納札社 | 総宮神社
第1番納札社 | 総宮そうぐう神社:八幡様・春日様・伊勢様をはじめ多くの神々様を御祭神とし、住まいを授け、住む人の平安をお守りになる神様。
第2番納札社 | 一言主神社
第2番納札社 | 一言主ひとことぬし神社: 一言主大神様を御祭神とし、一事を真剣に祈祷すれば叶えてくださる神様。多くの絵馬が納められています。また願いが叶った場合は感謝の心を籠めて鳥居を奉納するしきたりがある。
神仙境
神仙境しんせんきょう
第3番納札社 | 龍王社
龍王社
第3番納札社 | 龍王社りゅうおうしゃ: 竜王大神りゅうおうおおかみ 様 運気を上昇させ、富貴に導く神様。神山春日山に鎮座する水徳の神で、中世には善女龍王を祀る高山龍王社ともいわれた式内社鳴雷(なるいかずち)神社の里宮にあたるお社。
第4番納札社 | 水谷神社
第4番納札社 水谷みずや神社: 素盞鳴命すさのおのみこと様・大巳貴命おおなむちのみこと様・奇稲田姫命くしなだひめのみこと様病気封じ、八方除け、子授けの神様 難病・疫病を封じ、地相・家相・方位・日柄などから現れる災難を取り除き福徳円満をもたらす神様。京都八坂神社の本祀ともいわれる格式の高いお社。拝殿の子授け石には子宝に恵まれる御霊験がある。
水谷神社の寄生木
水谷茶屋
第5番納札社 | 浮雲神社
第5番納札社 | 浮雲うきぐも神社天児屋根命(あめのこやねのみこと)様 :将来を見通す御力に優れ、運気を上昇させ福徳を増進してくださる神様。このお社にお参りすれば、神々が御降臨になった霊峰御蓋山(みかさやま)の頂、浮雲峰に鎮座する本宮神社を登拝するのと同じ御霊験があるという(御蓋山は禁足地として入山が制限されている)
第6番納札社 | 聖明神社
第6番納札社 | 聖明せいめい神社聖明神(せいめいのかみ)様: 人々に生気をみなぎらせ、日々の生活全般を御守りくださる慈愛に満ちた神様。
第7番納札社 | 愛宕神社
第7番納札社 …
春日大社 駐車場 奈良公園
春日大社 駐車場
2020年8月5日 コロナ禍の真夏 猛暑の日 春日大社の駐車場は常に大型バスで満車だった時は遠い昔のことようです。バス一台だけ止まっています。
奈良公園
奈良公園も誰も芝では歩いていません。
芝を食べる鹿
鹿は日陰でひたすら芝を食べています。鹿せんべいもらえないから芝を一生懸命たべています。とても芝が綺麗なのは鹿のおかげです。
鹿の動画
若草山
大仏殿前交差点
大仏殿交差点タクシー降り場
二人の女性が鹿せんべいを買ってしまった。この後悲鳴とともに鹿せんべいを投げて逃げることに。
春日大社 大宮特別参拝①
御蓋山浮雲峰遙拝所 まで
御本殿 回廊内特別拝観 初穂料 500円
中門・御廊 (ちゅうもん・おろう)
1.井栗神社 2.穴栗神社
井栗神社穴栗神社
1.井栗神社(いぐり):安産の神様2.穴栗神社(あなぐり):幸運を導いてくださる神様。
3. 辛榊神社 4. 青榊神社
辛榊神社青榊神社
3. 辛榊神社(からさかき):交渉をおまとめくださる神様。4. 青榊神社(あおさかき):争いを解決に導いてくださる神様。
南門 幣殿 林檎の樹
南門幣殿・舞殿林檎の樹林檎の庭
大杉
目通り周囲8.7m、高さ25m、樹齢約800年~1000年というのだからまさしく神木。
5・6 手刀雄・飛来天神社参拝所
手刀雄・飛来天神社参拝所 御本殿近くにお鎮まりになる、手刀雄・飛来天神社はこちらからお参り。
5. 手刀雄神社(たちからお): 勇気と力の神様6. 飛来天神社(ひらいてん):空の旅の安全をお守りくださる神社
桂昌院奉納の灯籠
徳川五代将軍 綱吉つなよしの生母 桂昌院けいしょういん(本庄宗子)奉納の灯籠とうろう
嶋左近の石灯籠
嶋左近の石灯籠:嶋 清興(しま きよおき)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。石田三成の家臣で嶋左近(しまさこん)と名が知られている。今の奈良県生駒郡平群町周辺の在地領主で、三成から「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材だった。
御蓋山浮雲峰遙拝所
御蓋山浮雲峰遙拝所(みかさやまうきぐものみねようはいじょ)春日大社第一殿のご祭神、鹿島の武甕槌命様(たけみかづちのみこと)が白鹿の背にお乗りになり天降られた神蹟、御蓋山頂上浮雲峰の遥拝所768年に御本殿が創建される以前に鹿島・香取・枚岡の神々様が御鎮まりになる神奈備として崇められ現在も禁足地として入山が厳しく制限されている。*神奈備(かむなび・かんなび・かみなび):神道において、神霊(神や御霊)が宿る御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を擁した領域のこと。 または、神代(かみしろ)として自然環境を神体(しんたい)とすること。この遥拝所は浮雲峰から春日大社御本殿を通り平城京大極殿まで続く尾根線上にある。平城京の東端に位置する御蓋山より、宮廷の正殿である大極殿へと神様のお力が伝わる大変尊い場所なのです。
影向門
中門・御廊 (ちゅうもん・おろう)影向門(ようごうもん)
影向門(ようごうもん)を通って中門・御廊 (ちゅうもん・おろう)に順路通りに進みます。
https://wayusoan.ajec.co.jp/2020/08/21/deer-nihonshinwa/
https://wayusoan.ajec.co.jp/2020/08/21/kasuga-taisha-tokubetuhaikan2/
春日大社 大宮特別参拝②
御廊 奉納釣灯籠~中門~大杉
御廊 奉納釣灯籠
直江兼続(なおえかねつぐ)奉納釣灯籠
宇喜多秀家(うきたひでいえ)寄進灯籠
藤堂高虎(とうどうたかとら)奉納釣灯籠
徳川綱吉(とくがわつなよし)寄進釣灯籠
中門 御廊
中門から見た幣殿舞殿
本社大杉とイブキの樹
その根元から西方に斜めに延びているのはイブキ(ビャクシン)で樹齢は約500年といわれ、直会殿なおらいでん(重要文化財)の屋根に穴をあけてまで木を生かしているのは、特に樹木を大切にされる春日の神様によるもの。
7. 岩本神社 捻廊 (ねじろう)
岩本(いわもと)神社捻廊 (ねじろう)
岩本(いわもと)神社: 受験合格・和歌の神様捻廊 (ねじろう):内侍殿ないしでんから御廊おろうをむすぶ渡り階段で、この建物は斜めに階段が付けられており、柱や棰たるき、桁などのほとんど部材が捻じれをもって建てられています。
8. 風宮神社 9. 椿本神社
風宮神社(かぜのみや):生命を司り、罪、穢けがれを清めるお祓いの神様。椿本神社(つばきもと):魔物をお祓い下さる神社。
10. 多賀神社
多賀神社(たが):延命長寿の神様で仕事の完遂をお導きになる神様。
春日大社 大宮特別参拝③
後殿各社参拝所~藤浪之屋~ 後殿(うしろどの)各社参拝所 佐軍神社(さぐん)杉本神社(すぎもと)海本神社(かいもと)栗柄神社(くりから)八雷神社(はちらい)万燈籠再現 藤浪之屋 (ふじなみのや)宝庫 (ほうこ)内侍門 (ないしもん) 清浄門 (せいじょうもん)内侍殿 (ないしでん)直会殿 (なおらいでん)最後幣殿横...
春日大社 大宮特別参拝③
後殿各社参拝所~藤浪之屋~
後殿(うしろどの)各社参拝所
”後殿御門は明治維新以来長く閉ざされたままになっていましたが、第60次式年造替を機におよそ140年ぶりに開門することになりました。御本殿の真後ろにあるお庭、後殿には災難厄除けの霊験あらたかな神々様がお鎮まりになっていますのでお参りください。”
11. 佐軍神社(さぐん)
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ):石上神宮の御祭神と御同神で、国土平定に偉大な霊験があったことにより、災禍を祓い悪因・悪縁を断ち切る神様である。
12. 杉本神社(すぎもと)
大山咋神(おおやまくいのかみ):山岳守護の神様であることから高層マンションで生活する人々や高層ビルで働く人等、建物の高層階で生活する人々の安全をお守りくださる神様と信仰されている。
13. 海本神社(かいもと)
大物主神(おおものぬしのかみ):水徳の神様で、五穀豊穣、食の安全を守る神様。*大神(おおみわ)神社,大和(おおやまと)神社の祭神。農業の神様
14. 栗柄神社(くりから)
火酢芹命(ほすせりのみこと):門戸もんこ(出入り口)をお守りくださる神様で除災の神様として信仰が篤い。
15. 八雷神社(はちらい)
八雷大神(はちらいおおかみ):雷神様で、電気の力(電話・通信・電気)で人々に幸せをもたらす神様、雷除けの御霊験ごれいげんも高く電気関係者の信仰も篤い。
万燈籠再現 藤浪之屋 (ふじなみのや)
”春日大社は燈籠がたくさんあることで有名で、平安時代から現在までに奉納された燈籠がおよそ三千基あります。春日の燈籠は数が多いだけでなく、歴史的な資料としても重要で現存する室町時代以前の燈籠の六割以上が春日大社にあると言われております。2月の節分、8月14日・15日の年3回、すべての燈籠に浄火をともす春日万燈籠が行われており、この万燈籠神事を感じていただこうと、江戸時代まで神職の詰所であった藤波之屋を開放しました。由緒ある建物の中で、万燈籠の幽玄の美を体験ください。”
万燈籠再現 藤浪之屋
宝庫 (ほうこ)
朱塗の校倉造の建物は古くは春日の神々の大切な御神宝の数々を納めてた宝庫。
内侍門 (ないしもん) 清浄門 (せいじょうもん)
清浄門 (せいじょうもん)内侍門 (ないしもん)
内侍殿 (ないしでん)
春日祭に御神前で奉仕をする内侍(女性)が控えていた建物なので内侍殿といい、式年造替ぞうたいに際して、神様をお移しするので、移殿(うつしどの)とも呼ばれている。
直会殿 (なおらいでん)
春日祭で、勅使以下の直会(なおらい)の儀式が殿上で行なわれることから直会殿 (なおらいでん)と称され、平安期以降、ここで法華八講が盛大に行なわれた。朝のお参り(朝拝)はこの御殿で執行されます。
最後幣殿横からの写真色々
東向商店街 近鉄奈良駅
近鉄奈良駅 東側
近鉄奈良駅 東出口から
東向商店街
近鉄奈良駅 東出口から出ると行基の銅像が立っている噴水があり、東向商店街が南北に通っています。 奈良町、三条通へは右に進んでいきます。 奈良公園、東大寺はまっすぐ東に大通り沿いに歩いていけば20分ほどで着きます。
行基は聖武上皇の命により、東大寺大仏開眼供養の導師を勤めた。
東 東大寺 奈良公園方面北 東向商店街南 東向商店街
西出口側
西出口 バス タクシー乗り場小西さくら通り 南へ
東大寺|由縁 歴史
東大寺が建立されたのは奈良時代、752年。 もともと早く亡くなった聖武天皇の息子、基もとい皇子みこの冥福めいふくを祈って建てられた金きん鐘寺しょうじというお寺が東大寺の前身ぜんしんといわれています。
春日大社(かすがたいしゃ)は、奈良県奈良市春日野町にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は「春日神社」、神紋は「下がり藤」。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
全国に約1000社ある春日神社の総本社である。奈良時代の神護景雲2年(768年)に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏・藤原氏の氏神を祀る。主祭神の武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。