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護王神社|Goou Shrine

護王神社

猪ゆかりの神社、足腰の守護神として親しまれる護王ごおう神社に行ってきました。京都御所の近く、烏丸通り沿い下長者町通り南にあり、2019年 亥年には多くの初詣客でにぎわっていました。  

桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都造りを推し進めた和気清麻呂とその姉広虫(ひろむし)を祭神とする神社。もとは、高雄山神護寺の境内にあったが1886年(明治)にこの地に移された。
 広虫が慈悲深く、京中の孤児を養育したことにより子育て明神と呼ばれ、育児の神として信仰される。拝殿の前に狛犬のかわりに猪像があるが、これは清麻呂を猪が守護したという故事にちなむ。11月1日に猪子祭(いのこさい)がある。

鳥居 表門

狛イノシシ

鳥居、拝殿の前には、狛犬の代わりに雄雌一対の狛イノシシがあります。 和気清麻呂公が京より宇佐へ向かわれた際、災難にあわれたのを300頭ものイノシシが現われて、清麻呂公をお護りしたこととあることから、崇敬者の声により、明治23年に建てられて、今では御王神社のシンボルとして親しまれている。

霊猪手水舎

霊猪手水舎 水の出ている猪の銅像は鼻を撫でると幸せが訪れると言われていて参拝者に親しまれているとのこと

拝殿

中門 祈祷殿

招魂樹(おがたまのき)願かけ猪 座立亥串(くらたてぐし)

ご本殿前にそびえたつ招魂樹(おがたまのき)の根本には、願かけ猪の石像があり、その周りには座立亥串(くらたていぐし)という、願かけの串がたくさん刺したててあります。自分の名前と願い事を書いた紙札をはさんど、願かけ猪の前に刺したてて願かけする。
*招魂(しょうこん) 死者の霊を招いて祭ること。

飛翔親子猪

チェーンソーアート 世界チャンピオン 城所ケイジ氏作 
彫刻 飛翔親子猪 テーマ「生命のよみがえり」
この地にあった樹齢300年の桂の木を祈願殿建設に際し伐採した根株を彫刻。

和気清麻呂

和気清麻呂 紙幣

境内案内

さざれ石

国歌「君が代」に詠まれる「さざれ岩」
「君が代は千代(ちよ)に八千代(やちよ)にさざれ石の巌(いはほ)となりて苔のむすまで」
あなたの命が、小さな石が長い年月をかけて大きな石となり、その石に苔がつくまで、永く永く続きますように。

伊勢神宮揺拝所 カリンの木 
いのししコレクション
いのしし神社のおはなし

奈良時代・称徳すとく天皇の御代のこと。弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という僧が法王となって絶大な権力を振るっていました。やがて道鏡は、天皇の位も奪おうと考え、「『道鏡を天皇にすれば天下は平和に治まる』と宇佐八幡よりご神託(神様のお告げ)があった」と天皇にウソを言います。
 天皇は、ご神託が本当なのか迷いました。そこで、和気清麻呂公を呼び、九州の宇佐八幡へ行って確かめてくるよう命じました。清麻呂公は宇佐八幡へおもむき、ご神前に出て「真意をお教えください」と叫びました。すると、光り輝く宇佐の大神が現れ、「天皇の後継者には必ず皇族のものを立てなさい。道鏡のような無道の者は早く追放してしまいなさい」とご神託を下されました。
 清麻呂公は都へ戻り、大神のご神託を天皇に報告しました。野望をくじかれた道鏡は激しく怒り、清麻呂公の足の腱を切った上、大隅国(鹿児島県)への流罪(るざい)としてしまいます。さらには、大隅国へ向かう清麻呂公を襲わせるために刺客を放ちました。
 足の腱を切られ、立つことすらできなくなった清麻呂公ですが、皇室を守った大神に感謝するため、宇佐八幡へ立ち寄ることにしました。そして、一行が豊前国(福岡県東部)に至ると、どこからか三百頭ものいのししが現れました。いのししたちは清麻呂公の輿(こし=乗り物)の周りを囲み、道鏡の刺客たちから守りながら、十里(約40km)の道のりを案内してくれたのです。清麻呂公が宇佐八幡での参拝を終えると、いのししたちはどこかへ去っていきました。不思議なことに、清麻呂公の足の痛みは治り、再び歩けるようになっていました。
 一年後、称徳天皇の崩御(ほうぎょ=亡くなること)によって、道鏡は関東へ左遷(させん)されます。都へ呼び戻された清麻呂公は、時の天皇の信頼を得て活躍し、晩年まで世のため人のために尽くしました。
 清麻呂公の立派な人柄と、彼を守ったいのししのお話は、後世まで語り継がれることとなりました。清麻呂公を祀る護王神社には、狛犬の代わりに狛イノシシが建てられ、今も清麻呂公を護り続けています。
(案内版より)

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