糺の森~南口鳥居~楼門 駐車場
烏の縄手 奈良の小川
烏(からす)の縄手(なわて)
下鴨神社の七不思議として、古くから言い伝えられている一つに「カラスのナワテ」というのがあります。
「カラス」とは、下鴨神社におまつりされている御祭神・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、別のお名前があり、「ヤタカラス」(太陽という意味です)と呼ばれています。
「ナワテ」とは、細い(せまい)、長い道ということで、ヤタカラスの神様へお参りする長い参道との意です。
古くは、糺の森の木の間を分けて数すじもの細い参道がありました。
この程、その一部を復元しました。
復元された古(いにしえ)の小川「奈良の小川」
この小川は、境内糺の森の発掘調査によって、この所から幅3m、深さ約0.4mの古代の流れの流路約60mが見つりました。平安・鎌倉時代の下鴨神社の様相を伝える「鴨社古図」に描かれた小川の一部で、その流れが復元しました。
この小川の上流に奈良殿神を祀る無社殿社地のナラノキの林を流れているところから奈良の小川と呼ばれています。
さるや休憩所 あけ橋
あけ橋 平安時代末の社頭を描いた。『鴨社古図』にみれる橋で、鎌倉時代の『祐直卿記』には「赤井橋」と記されています。古くからこの小川を渡ることが禊で、祓い清め身が改まることから「あけ橋」と呼ばれてきました。
御手洗(みたらし)−直澄(ただす)
御手洗(みたらし)−直澄(ただす)
古代から糺の森は、清水の沸く所、鴨川の水源の神地として信仰されてきました。室町時代の「諸社根元記」に「浮島の里、直澄」と記されており、「糺」の語源の一説として知られています。 現在、なお糺の森地中深くより豊かに湧水し、歴史を伝えています。生命の源である御神水により禊(みそぎ)をされ、御生(みあれ)の御蔭(おかげ)をこおむるとともに心身お清浄にお臨みください。やまとかも うみに嵐の西吹けば いづれの浦に 御船つながむ (新古今和歌集)
御手洗は 御祭神の神話伝承にちなむ舟形磐座石(いわくらいし)です。御神水をそそぐ樋(とい)は、糺の森のヌシと呼ばれていた樹齢600年のケヤキです。覆屋は、崇神天皇七年(BC90年ごろ)当神社糺の森神地に瑞籬(みずがき)造替を賜った記録をもとに再現した透塀です。
世界遺産 古都京都の文化財
賀茂御祖神社の境内地では,発掘調査により縄文時代の遺跡が発見されており,当神社が
歴史的に重要な場所に位置していることが早くから知られている。平安京造営にあたっては国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集めており,11世紀初頭には現代に近い姿に整えられた。その後14世紀始めまでは式年造替が実施されていたが,応仁・文明の乱により,衰徴した。
国宝の東本殿・西本殿は,賀茂別雷神社の本殿,権殿同様,流造り本殿の代表例であり,他に31棟の建造物が重要文化財に指定されている。
天正9年(1581)の造替の時,境内全体に整備が進められて平安時代の状況が再現され,その後,江戸時代に入って本殿は8回造替され,現在の東本殿・西本殿は文久3年(1863)の造替の時のものである。この流造りの本殿は古い形式をよく残している。境内にはこれらの他,寛永5年(1628)に造替された祝詞舎等の建物が残り,当時の神社景観を現在によく伝えている。
当神社は,加茂川と高野川の合流点に位置し,境内は糺の森という広大な森に包まれ,京都の三大祭のひとつ葵祭が行われるなど古代の祭事を継承している。また,糺の森は,四季に移り変わる自然の美と幽すいが『源氏物語』をはじめ数々の文学に語りつがれ市民の憩いの場となっている。
賀茂御祖神社(下鴨神社)
太古、この地を占有していた賀茂氏が創祀したわが国最古の神社の一つである。祭神として、賀茂建角身命と玉依姫命を祀る。玉依姫命は賀茂氏の祖神賀茂建角身命の子で、瀬見の小川(賀茂川)の川上から流れてきた丹塗(にぬ)りの矢によって身ごもり、別雷神を生んだという。賀茂御祖神を呼ぶのはこのためである。
平安遷都(七九四)後は王城の守護神としてあがめられ、賀茂斎院、行幸式日、参篭御幸、関白賀茂詣、式年遷宮等の制度も設けられ、中世には山城国一ノ宮と呼ばれて、崇敬をあつめた。
境内糺の森は、約十二万平方メートル(約三万六千坪)で古代山城北部が森林地帯であった頃の植生と同じ生態が保たれている貴重な森林であり、国の史跡に指定されている。社殿は、文久三年(一八六三)再建の国宝の本殿二棟と重要文化財の殿舎五十三棟などがあり、平成六年(一九九四)世界文化遺産に登録された。
毎年五月十五日、都大路に王朝絵巻を繰広げる葵祭は有名である。行列が当神社に到着すると「社頭の儀」がおこなわれる。また、流鏑馬、御蔭祭など数々の伝統行事が行われている。
京都市
さざれ石
国歌「君が代」にうたわれた「さざれ石」
「さざれ石」とは、小さな石という意味です。火山の噴火により石灰岩が分離集積して凝固した岩石で、長野県の天然記念物になっています。
日本各地には、子持ち石とか赤子石など石を神として祀る信仰がたくさんあります。
「さざれ石」は、年とともに成長し、岩となると信じられている神霊の宿る石です。「古今和歌集」には私たちの遠い祖先から信仰してきた生石(おいいし)伝説の「さざれ石」が詠まれており、国歌の原典となっています。
当神社にも「鴨の七不思議」のなかに「泉川の浮き石」や「御手洗の神石」という伝承と式年遷宮の祭事に「石拾い」という神事があります。いずれも永遠の生命力と不思議な力を現しています。
相生社(あいおいのやしろ)
相生社(あいおいのやしろ)
御神祭は産霊神(むすびのかみ)で、古代から縁結びの神様として知られています。 めでたいことを「相生」というのはここから始まったといわれている。
願い事を絵馬に書いて念じながら社の周りを3周する。女性は右回り、男性は左回りで、3周目の途中で絵馬掛けに絵馬を奉納し、社の正面で二礼二拍手一礼する。
京の七不思議 連理の賢木 縁結びの御神木
連理の賢木 縁結びの御神木
この御神木は、右側のお社「相生社」、縁結びの神の御神威によって二本の木が一本にむすばれたものといい伝えられている。このことは、縁結び、安産子育て、家内安全の御神徳の現れであり、謡曲などに相生とうたわれ、京の七不思議として古くから有名である。この御神木は四代目であり、代を次いで境内糺の森の神域に生まれるのが不思議である。
楼門
「楼門」(重文)は、江戸時代、1629年に建立。入母屋造、桧皮葺、高さ13m。