スポンサーリンク

薬師寺休ヶ岡八幡宮縁起

神社説明板より

“日本人は奈良時代より仏菩薩ぶつぼさつ本地ほんじとし、諸神もろがみ垂迹すいじゃくとして、両者が表裏一体となり、互に利益をほどこしながら 衆生しゅじょう 済度さいど されるものとする信仰に生きてきた。”
本地:(ほんじ)仏としての本体。 
垂迹:(すいじゃく)仏・菩薩(ぼさつ)が民衆を救うため、仮の姿をとって現れること。
本地垂迹:日本の神がみはすべてインドの仏が日本人民を救うために現われたものであるという、中世の説明法。
諸神:(もろがみ、しょじん)(もろもろもろの神。多くの神)
衆生:(しゅじょう)生命のあるすべてのもの。人間をはじめすべての生物。
済度:(さいど)仏・菩薩(ぼさつ)が、迷い苦しんでいる人間をすくって(=済)、悟りの彼岸(ひがん)にわたす(=度)こと。

“薬師寺は寛平年中(889-897)に、別当栄紹(えいしょう)大法師が寺の鎮守(ちんじゅ)としてこの八幡宮(はちまんぐう)の祭神である僧形(そうぎょう)八幡(はちまん)(しん)(じん)(ぐう)皇后(こうごう)仲津(なかつ)(ひめ)(みこと)勧請(かんじょう)した。”

別当(べっとう):僧職の一つ。神社内寺院の長
社僧(しゃそう):奈良時代の初頭から神社の境内に寺院が建立される動きが始まり、そこで仏事を執り行う僧侶。
八幡宮(はちまんぐう)応神天皇を主神とし,通例,ヒメガミ,神功皇后を配祀する神社の称号。やわたのみやともいう。弓矢の神として,武士を中心に古くから広く尊崇された。大分県の宇佐神宮を総本社とし,全国各地にある。
僧形(そうぎょう)八幡(はちまん)(しん): 平安時代に盛んであった神仏習合の思想である本地垂迹説により,八幡神が僧の姿として表現されたもの。
(じん)(ぐう)皇后(こうごう):仲哀天皇の皇后。名は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。仲哀天皇の没後、懐妊のまま朝鮮半島に遠征し、帰国後に応神天皇を出産したといわれる。
(おう)(じん)天皇(てんのう)仲哀(ちゅうあい)天皇の皇子,母は息長足姫(おきながたらしひめ)(神功皇后)八幡神として神格化されている。
仲津(なかつ)(ひめ)(みこと): (おう)(じん)天皇(てんのう)の皇后

“現在の社殿は幾度かの天災・人災により破壊・焼失された後、慶長八年(1603)に豊臣秀頼によって新造されたものである。他に瑞垣(みずがき)門・楼門・中門等も新造されたが地震で崩壊した。本殿は三間社流造で、両脇に脇殿が接続している。脇殿は十九明神の板絵(宝蔵殿に安置)が祀られている。“

三間社流造(さんげんしゃながれづくり):神社建築の様式で最も一般的とされる「流造」のうち、正面の柱が4本、柱間の間口が3間あるもの。
脇殿(わきでん):正殿の両脇にひかえる建物。
明神(みょうじん):神の尊称。神仏習合説による、仏教側からの神祇(しんぎ)の称。「春日明神」「大明神」

“南北の細長い建物は座小屋とよばれ寺僧の加行場としても使用されたが、本来は古くから存した宮座の座衆が座す所で、明治以降残っている例は少ない。また両脇に脇殿が付属する社殿は少なく、歴史的に重要な建物とされているのみならず、明治以降は神仏が分離され、一寺院が神社を管理している例は少ない。”

加行場(けぎょうば):僧の修行の場
宮座(みやざ):地域の鎮守もしくは氏神である神社の祭祀に携わる村落内の特権的な組織及びそれを構成する資格者の集団。

タイトルとURLをコピーしました