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北野天満宮④ 絵馬掛所~宝物殿

北野天満宮④ 絵馬掛所~宝物殿

絵馬掛所

末社群(十二社)  老松社  地主神社

老松社 (おいまつしゃ)
祭神   島田忠臣翁 (しまだ ただおき)
神徳   植林・林業の神
祭神の島田忠臣は、菅公の家臣と伝えられ、また一説には公の岳父(夫人の父)ともいわれる。
忠臣は菅公が配流先の大宰府で、自らの無実を天の神々に訴えるため天拝山に登られた時、 公の笏を預かってお供をした人物で、後に菅公は忠臣に松の種を持たせ当地に撒くように託された。 道真公のご神霊がこの地に降臨される時、多数の松が一夜にして生じたという伝説は、この事蹟にもとづくものといわれる。

地主神社 : 祭神   天神地祇(てんじん‐ちぎ) 
*天つ神と国つ神。 すべての神々。 一般に、天神は高天原 (たかまがはら) に生まれた神、あるいは葦原の中つ国に天降った神、地祇はこの国土の神とされる。
相殿   敦実親王あつみしんのう 斎世ときよ親王 源英明朝臣みなもとひであきらあそん
当宮は「続日本後紀」に「承和三年(836年、菅公ご誕生の9年前)2月1日、 遣唐使の為に天神地祇を祭る」と記録されているとおり、天満宮創建以前よりこの地に鎮座していた神社である。
主祭神の天神地祇とは、日本国内六十余国に祭られたすべての神々のことであり、 ともに祭られる三人の皇子は、いずれも道真公のご血縁など、特に公と縁の深いかたがたである。 現社殿は豊臣秀頼公の造営になり、由緒・規模とも天満宮随一の摂社である。

文子天満宮(あやこてんまんぐう)

祭神 菅原道真公  神徳 入試・学徳成就

道真公が太宰府で生涯を閉じられて四十年を経た天慶五年(九四二)、右京七条二坊(現在の京都市下京区千本通り七条辺)に住む巫女多治比文子に菅公の神霊より、わが魂を右近馬場(現境内地)に祭れとのお告げがあり、文子はとりあえず自宅に菅公の御霊をお祭りした。これが北野天満宮の発祥である。
その後、他の霊能者にも同じご神託が相つぎ、天暦元年(九四七)天満宮は現在地に移された。文子の住居跡は神殿につくり改め文子天満宮と称えられてきたが、やがて西の京に移され、さらに明治六年この場所に遷座された

駒札より

北門

北門周辺 松永伍作氏顕彰碑 伊達彌助氏顕彰碑

東門 鳥居

東門 上七軒

茶室「明月舎」

竈社(かまどしゃ)

御祭神 庭津彦神にわつひこのかみ庭津姫神にわつひめのかみ火産霊神ほむすびのかみ  神徳 台所の守り神
庭津彦・庭津姫神の「庭」は家庭の意味で、この二紳は家庭の守護神、また火産霊神は、火をつかさどる神である。古来この三柱の神は、かまど・台所の守り神として私たちの日常生活と密接に結びつき、各家庭で大切に守られて来た。この神々はもともと天満宮の御供所(神さまへのお供えを調理する台所)のかまどに祭られていたもので、昔から使われてきた大釜が社殿の床下に納められており、かいま見ることができる。
なお、かまどの神については中国にも同様の信仰があり、この神を台所に祭ると福を招くとして守り継がれている。

宝物殿

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