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吉田神社② 斎場所大元宮 摂社末社

斎場所大元宮 摂社末社

吉田兼倶を祀る「神龍社」

祭神:従二位卜部兼倶朝臣(うらべかねとも)
卜部(吉田)兼倶朝臣は大元宮の創始者で後柏原天皇永正8年(1511)2月19日77歳で死去、同10年2月鎮祭、明治13年(1880)末社に定められた。俗に百段さんと親しまれている。

菓祖神社(お菓子の神様)

菓祖神社(お菓子の神様)
祭神:田道間守命(たぢまもりのみこと)
   林浄因命(はやしじょういんのみこと)
由緒:田道間守命(たぢまもりのみこと)は第十一代垂仁天皇の命を受け常世の国の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)をもたらした。林浄因命は初めて餡入りの饅頭を作り広めた。 古来、二神は菓子の祖神(おやがみ)として、また、広く文化の神として崇められる。京都菓子業界の総意により菓祖神社創建奉賛会を結成
昭和三十二年十一月十一日鎮祭

祭典 春祭 四月十九日
   秋祭 十一月十一日
尚 詮議により菓子関係功労物故者の霊を逐次相殿神として奉斉

山蔭神社(料理飲食の神)

山蔭神社(料理飲食の神)
祭神: 藤原山蔭卿 (ふじわらやまかげきょう)
    相殿 恵比須神
例祭  五月八日
由緒: 山蔭卿は清和天皇貞観元年(西暦八四五年)奈良春日の大神を勧請し平安京鎮護の神として吉田神社を創建され又吾が国に於いてあらゆる食物を始めて調理調味づけた始祖であり古来包丁の神、料理、飲食の祖神として崇敬厚き神である。 昭和三十二年吉田神社御鎮座千百年大祭を機に全国料理関係者創建に協賛 同三十四年五月鎮祭

斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)重要文化財

斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)重要文化財
吉田神社 末社
天神地祇八百万神あまつかみくにつかみやおよろづのかみ を祀る大元宮だいげんぐう を中心とし、周囲に伊勢二宮をはじめ、全国の延喜式内社えんぎしきないしゃ三千百三十二座を奉祀する。
 もとは、神職ト部うらべ (吉田)家邸内にあったものを文明 十六年(一四八四)に、吉田神道 を創設した吉田兼倶かねとも がここに移建したもので、吉田神道の根本殿堂とした。
天正 十八年(一五九〇)には天皇守護のため宮中の神祇官じんぎかんに祀られていた八神殿はっしんでん が社内後方に遷され慶長 十四年(一六〇九)から明治四年(一八七一)まで、神祇官代としてその儀式を執行した。
 本殿(重要文化財 )は慶長六年(一六〇一)の建築で、平面上八角形に、六角形の後房こうぼうを付した珍しい形をしている。屋根は入母屋造いりもやづくり茅葺かやぶき 、棟には千木ちぎ をあげ、中央には露盤宝珠ろばんほうしゅ 、前後には男木かつぶぎ を置く特殊な構造である。この形式は密教 ・儒教 ・陰陽道 ・道教 などの諸宗教 、諸思想 を統合しょうとした「吉田神道」の理想を形に表したものといわれる。
 全国のあらゆる神々を祀るため、当社に参詣すると、全国の神社に詣でることと同じ効験があるとされ、毎年節分の日を中心に前後三日間行われる「節分祭 」には多数の参詣客で賑わう。
京都市

本殿(重要文化財 )

竹中稲荷社 天満宮

竹中稲荷社
祭神: 宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)
    猿田彦神(さるたひこのかみ)
    天鈿女神(あめのうずめのかみ)
由緒: 古記に、「在原業平の居を神楽岡稲荷神社の傍に下す云々」とあり、天長年間既に社殿の在った事が知られ又古伝に「天保年間に子女群詣し昼夜ノ別なく満山に踊躍す是を蝶蝶踊といゝ其後鳥居参道に樹立し雨雪為に傘を要せず」などとあり、現在ノ建物ハ天保十一年(西暦一八四〇年)信徒の寄付金で造営されたもので、右説と同時代である。現今も竹中稲荷講社が多数の崇敬者によって組織されている。明治五年吉田神社末社に指定。
在原 業平(ありわら の なりひら)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人。
例祭 九月二十八日
講社 大祭四月二十九日、十一月三日

天満宮
祭神: 菅原道真公(すがはらみちざねこう)
文道の神として崇敬厚し、鎮座年月不詳
由緒: 嘉永五年(西暦一八五二年)信徒の請願により智福院山内より卜部良芳現地に遷座
明治五年吉田大社末社に指定
例祭 二月二十五日

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