添御県坐神社
基本情報
住所: 〒631-0061奈良県奈良市三碓3-5-8
アクセス: 近鉄富雄駅 砂茶屋方面行バス「三碓」下車徒歩4分
問合せ : 0742-43-1428
公式サイト: http://soumi.sub.jp/
近鉄富雄駅から歩いて20分ぐらいです。
アクセス方法
奈良県道7号枚方大和郡山線を南に進んでいると、左手に業務スーパーにある信号を過ぎて次の信号を左に入れます。とても狭い道です。まっすぐ進み鳥居を抜けていくと参拝者用の駐車場もあります。
読み方と意味:大和国に6つある御縣神社の1つ。
添 御 県 坐 神社
(そうの-みあがた-にいます-じんじゃ)
古代以来、大和の国の中に添(そう)郡(ぐん)といわれる郡があり、今の奈良市、生駒市や奈良県北部に当ります。広大な郡で、人口も増加したので後に添上(そえかみ)、添下(そえしも)の両郡にわかれました。当神社のある場所 は添下郡(現在は生駒郡から奈良市に編入)にあたります。 次に県[あがた]とは、律令体制以前の、朝廷の直轄地として設置され、ここは主に皇室に木材や薪を納めていた料地のため「御」の字をつけ御県(みあが た)と言われました。大和には他に高市・葛木・十市・志貴・山辺の五つの県があり、合わせて六御県(むつのみあがた)とも呼ばれました。従って大和の国の 添郡に設置された御県に鎮座する神社という意味になります。
http://soumi.sub.jp/enkaku.htm
鳥居 参道
歴 史
祭神: 建速須佐ノ男命
武乳速之命
櫛稲田姫之命
平安時代初期に編纂された「延喜式神名帳」という全国の神社一覧文書によりますと、この神社は、月並祭や新嘗祭(にいなめさい)に朝廷から幣帛 (へいはく=お供え物の布類)を奉られて「大社」という格式を認められた神社として記されています。従って、延喜年間(901~923AD)以前に既に存 在していたことは確実です。伝えによりますと、その祭神のうち武乳速之(たけちばやの)命の真の名は添御県の一帯を開発し、治めていた首長のな那賀須泥彦(ながすねひこ)とされ、鎮座の起源は奈良時 代以前のおよそ古墳時代まで遡ることができます。 その後、富雄川流域でもこの一帯は古代豪族の小野氏が治め、林業を営む杣人の里となっていました。
http://soumi.sub.jp/enkaku.htm