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祇園北川 白川

祇園 白川 巽橋 辰巳神社

大和橋

四条通から大和大路通(繩手)を北に行き大和橋を右に入ると白川筋に入る。通常は観光客で昼もにぎわう場所で、祇園の昔ながらの街並みの中、写真を撮る方で以前はいっぱいでしたが、今はまだまだ観光客少ない状態です。 桜の時期は最高の撮影場所です。

かくかくに碑

「かにかくに 祇園はこひし 寝(ぬ)るときも 枕のしたを 水のながるる」
この歌は、祇園をこよなく愛した歌人として知られる吉井勇(よしい・いさむ)が1910年に詠んだ一首で、彼の歌集「酒ほがひ」に収められている。

辰巳大明神(辰巳神社)

辰己大明神を祀る祇園新橋一帯は、幕末から明治時代にかけて花街として隆盛を極め、当時の著名な人々がこの界隈をこよなく愛し、度々訪れた。
第二次世界対戦中の建物強制疎開や戦後の区画整理により、白川北岸のお茶屋や屋敷の建物が取り崩され、白川南通りが開かれ、現在の街並みとなった。
現在の辰己大明神の地にあった旧家には、屋敷神として白蛇が祀られていた。旧家の移転に伴い、祠は地域に受け継がれ、巽橋北詰の橋の袂に祀られ、祇園の料理人が卵を供え、信仰していたと云われている。祠は、戦後、巽橋の改修に伴い、現在の辰己大明神の地に遷座された。
白蛇は、弁天の遣いであり、芸能への職能神・弁財天信仰として転化され、やがて飲食業者だけでなく、祇園の舞妓・芸妓が信仰するようになり、その後は、技芸上達とともに、無病息災、商売繁盛の氏神として地域に信仰されている。
年四回、1月には寒供養祭、2月には初午祭、7月には土用供養祭、11月にはお火焚き祭の神事を通して地域の絆を深めている。 

京都市案内版より

巽橋(たつみ橋) 切り通し(きりとおし)

新橋通り

火除け地蔵

地蔵菩薩はあらゆる場所に身を変えて現れ、六道の衆生を救ってくれるとともに、様々な現世利益をもたらしてくれると言われている。 代表的な御利益の一つとして「火除け」があるとしている。

また地蔵菩薩は、冥界と現世の境で邪悪な霊魂を祓うとされ、地蔵菩薩は、町の境界などに安置された。境界は、子どもの埋葬地であったため、地蔵菩薩は子どもを守護するという信仰も生まれる。

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