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金閣寺の庭園 見どころ②

池泉回遊式庭園 見どころ②

夕佳亭(せっかてい)

夕暮れ時に、ここから金閣を眺めると、太陽が金閣の西の方へ沈み、美しい景色が眺められたのだろう。江戸時代の住職が、後水尾法皇を迎えるために当時の茶道家である金森宗和かなもりそうわに造られたもので、数寄屋造すきやづくの趣のある茶室である。明治に焼失したため、現在の建物は1874年(明治7年)に再建されたものです。
* 数寄屋造りとは、日本の建築様式の一つである。数寄屋風を取り入れた住宅の様式とされる。 語源の「数寄」とは和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことであり、「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味する。

貴人榻(きじんとう)

夕佳亭の横にある低い岩で、「榻」とは腰掛けのこと。貴人榻、文字どおり、身分の高い人の腰掛けとして使われていたもの。室町幕府より移設。

富士型手水鉢(ふじがたちょうずばち)

3代目義満公の孫、8代目将軍義政よしまさ公遺愛品。
夕佳亭の前にあり、茶室に入る前に、手を洗うために使われるもの。手水鉢は蹲踞(つくばい)ともいいます。8代目の義政公は東山ひがしやま銀閣寺ぎんかくじを建てましたが、金閣寺を参考にして、銀閣寺を建てたといわれています。

金閣寺不動釜茶所(きんかくじふどうがまちゃしょ)

不動堂の近くにある茶屋、店内でも店外でも良い雰囲気で金箔の入った和菓子とお抹茶のセットが500円で楽しめます。お菓子は金閣と鳳凰が型押しされ金粉がのっている金閣らしいお菓子です。

朱印所 お土産屋

納経所

不動堂(ふどうどう)

金閣寺の前の西園寺の別荘時代にも不動堂の名があったといわれています。義満没後は荒廃したが、天正年間(16世紀後半)に宇喜田秀家うきたひでいえによって再建されたという。 不動堂には江戸時代からすでに秘仏とされている御本尊、動明王立像ふどうみょうおうりゅうぞう(石不動)があります。石室に安置され、普段石室の入り口は扉で閉ざされているそうです。あともう一体、鎌倉時代に造られた木造の不動明王立像もあり、もとは西園寺家が所有していたものと言われています。
* 不動明王: 密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守ります。

荼枳尼天(ダキニテン)

梵語ぼんご(サンスクリット語)ではダーキニーと言い、元は夜叉神やしゃじんであったが、大黒天により善神となり、
中世以降の日本では荼枳尼天(ダキニテン)が乗る霊狐れいこを稲荷神の使いの狐と結び付け、稲荷神として祀られるようになったそうです。
*夜叉: インド神話においては、残虐かつ暴力的な悪鬼として扱われていたが、仏教に帰依してからは、法や宝物を守護し人々に恩恵を与える守護神になり、また八部衆の一員にも数えられている。

大黒天
もとはヒンドゥー教の破壊神シヴァの化身で、破壊と戦闘を司る神マハーカーラが前身とされています。そのため、初期の大黒天は大日如来の命で荼枳尼天(だきにてん)を降伏させるなど戦闘色の強い神であり、大黒天に祈ると必ず戦いに勝つといわれました。

日本では「だいこく」が日本神話の祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)と通じることから習合されるようになりました。五穀豊穣と財福の神として独自に発展し、七福神の1人に数えられるようになったといわれています。

https://www.butuzou-world.com/dictionary/ten/daikokuten/
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