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東山区

清水寺 子安の塔
清水寺 子安の塔 子安の塔 泰産寺 奥の院から子安の塔方へ進んでいき、急カーブした所に子安の塔入り口の石碑があります。30mほど上がると子安の塔に着きます。子安の塔からの清水寺境内の景観も絶景です。 泰産寺清水寺の塔頭。「子安の塔」と呼ばれる三重塔(重要文化財)。元は仁王門下の南側にあったが、明治44年(1911)現在地に移築された。聖武天皇と光明皇后が御子の誕生を祈願し孝謙天皇を安産したので建立されたとの伝説をもち、 塔内に六センチほどの小観音を胎内に宿す千手観音像を祀る。安産祈願の信仰がうまれ、子安観音とあがめられている。 子安の塔から見える清水寺境内 景観 地蔵 子安の塔をでて、音羽の滝へ道を下りていきます。左右に様々な地蔵があります。 音羽の滝 舌切茶屋 舌切茶屋(したきりちゃや) 音羽の滝三筋の霊水は大昔より音羽山中より湧き出る清泉であり、創建以来一度も枯れる事なく、今日に至ります。観音様の功徳水である金色水とも呼ばれ、延命長寿、諸願成就のご利益があるといわれてきました。(霊水 冥加料 500円)またここは開山延鎮上人と開基行叡居士が出会った当山の起源の場であり、現在では不動明王をご本尊としてお祀りいたしております。毎月28日の不動縁日には、朝7時より山内僧侶が揃い、信者と勤行を致します。是非とも早朝の荘厳な雰囲気の中、共にご参拝頂ければ幸いです合掌 滝の内部にお祀りされている不動明王にお参りして、願い事を唱えてから3本のうち1つのお水をいただいてください。進行方向の奥から学問・縁結び・健康の御利益があると言われています。 コロナ禍で今は感染症対策のため、水を汲む“柄杓”の設置はしていません。 清水寺 舞台下 絶壁 アテルイ・モレの碑 八世紀末 、蝦 夷( 現 在の岩手県奥州市地域 )の首 長・阿弖流為(アテルイ)と母 禮( モレ)は平安朝廷の東北平定政策に対して戦いましたが 、郷 土の犠 牲に心を痛め、征夷大将軍・坂上田村麻呂公の軍 門に下りました。平安建都 1200 年を期し、1994 年に建 立されたこの碑は、助 命かなわず 処 刑された両雄の鎮魂慰霊を願ったものです 忠僕茶屋 (ちゅうぼくちゃや)十一重石塔 忠僕茶屋 (ちゅうぼくちゃや)十一重石塔 清水坂下り三年坂へ 来迎院(経書堂)
三年坂(産寧坂)
三年坂(産寧坂)八坂から清水坂に通じるこの石段は「三年坂」または「産寧坂」「再念坂」ともいわれる。また、三年坂を上った清水寺の塔頭である安産に御利益があるといわれる泰産寺(子安の塔)の産(生み)寧(やすき)坂で「産...
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清水寺 奥の院
清水寺 奥の院 地蔵尊釈迦堂釈迦堂前から観た本堂 地主神社 寛 永 8 年( 1631 )再 建 。一見簡素な造りですが 、内 部は朱い漆 塗りの円 柱の来迎柱や、極彩色を施された長 押 、貫 、遊 飛する天 女の天井画などが 装 飾されています。中 央の黒い漆 塗りの須弥壇上には釈迦三尊をお祀りしています。昭 和 4 7 年( …
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清水寺 地主神社
えんむすびの神 地主神社
縁結び祈願 恋愛成就 京都地主神社
「因幡の白ウサギ」 大国主命さまはえんむすびの御利益がある神様として有名です。因幡の白兎を助けられた心のやさしい神様でみんなに幸せを与えてくださいます。
因幡の白ウサギ|由来と歴史|縁結び祈願 京都地主神社
大国主の正妻 須勢理姫命(すせりひめのみこと)と大国主命を祀る奈良の夫婦大国社も縁結びスポットです。 
春日大社 夫婦大国社
夫婦大国社 日本有数の恋愛のパワースポット 日本で唯一、夫婦の大国さまを祀る縁結びスポット。
手水所 栗光稲荷 参拝する前に心身を清めましょう。栗光稲荷くりみついなり 恋占いの石 「恋占いの石」は本殿前に、10メートルほど離れてたつ、ひざの高さほどの2つのご神石で、片方の石から反対側の石に目を閉じて歩き、無事たどりつくことができると恋の願いがかなうと伝わる“願掛け”の石です。一度でたどりつければ恋の成就も早く、二度三度となると恋の成就も遅れ、また人にアドバイスを受けた時には人の助けを借りて恋が成就すると言われます。 地主神社 本殿 本殿人形祓い(ひとがたばらい)祓戸大神 祓戸社の祭壇におかれている「祓串(はらえぐし)」は、神主がお祓いをするときに振っている、 白い紙(紙垂:しで)のついた棒と同じようなものです。これを持って左、右、左と振り、ご自身でお祓いをしてください。  このように皆さん一人ひとりが行うお祓いのほかに、この世のすべてを清らかにするお祓いを「大祓(おおはらえ)」といいます。奈良時代の宮中行事として伝わる由緒ある儀式で、今でも地主神社では6月と12月に「大祓祭」を執り行っています。特に6月に行われる「夏越しの大祓」は日本最古の宗教儀礼ともいわれる伝統行事です。 水かけ地蔵 水をかけて祈願するとご利益がいただけるため、「水かけ地蔵」とお呼びしています。もともと京都では、お地蔵様をまつる「地蔵盆」が盛んでした。お地蔵様は子どもにゆかりの深い存在であると考えられたことから、毎年お盆の季節になると子どもたちがお地蔵様のまわりに集い、楽しいひとときをすごしていました。 おかげ明神 撫で大国さん おかげ明神撫で大国さん幸福祈願所 おかげ明神どんな願い事も一つだけなら必ず「おかげ(御利益)」がいただけるという一願成就の神様「おかげ明神」。特に女性の守り神として、昔から厚い信仰を集めている。この後方のご神木は「いのり杉」「のろい杉」ともいわれ、江戸時代に女性の間で流行した「丑の刻参り(うしのときまいり)」に使われたという。今も、のろいの願をかけ、五寸釘を打ち込んだ跡が無数に残っている。撫で大国さん地主神社境内の奥に祀られる大田大神は、芸事上達と長寿の神様として知られている。習い事の上達を願う人から芸能界を目指す人まで、数多くの人びとが参拝に訪れている。幸福祈願所銅鑼(ドラ)の音祈願三度軽く打つとその心地よい響きが神さまに伝わり、 良縁がいただける…。
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清水寺 本堂 舞台
清水寺 本堂 舞台 弁慶の鉄下駄と錫杖(しゃくじょう) コロナ禍の前は本堂にいく通りに観光客が触れるように置いてあってその重さを楽しんでいましたが、今は角においてあり触ることができません。 本堂の屋根の檜皮(ひわだ)葺き替え(ふきかえ)工事が2019年末に完了
音羽山 清水寺
京都府京都市。「清水の舞台」で知られる寺院。北法相宗の本山(一寺一宗)。縁起、年中行事、境内案内。
平成の大修理で檜皮の屋根も新しくなり、やっと舞台の全容が見えて、写真を撮ることができましたが、まだ完全に修復作業が終わっているわけではないです。なんとなく以前よりも全体的に屋根に丸みがあるような感じもします。*檜皮葺ひわだぶきとは,檜ひのきの樹皮で建物の屋根を葺ふくことです。 以前はこちらに出世大黒天弁慶の鉄下駄と錫杖もあった。出世大黒天 大黒天とは七福神の内の一柱ひとはしら で、福徳・財運などをつかさどります。 天部ー仏法を守護する諸尊(しょ そん)に属し、音が似ている大国主神と習合しました。*如来・菩薩・明王・天など仏教上尊崇すべき存在の総称 国宝 本堂舞台 江戸初期「清水の舞台」といわれ、本堂(国宝)の付属建築物で、平安時代の昔から構築されてきた。現在の舞台組みは寛永十年(一六三三)徳川三代将軍家光の寄進による再建のままで、柵千親柱の金銅製宝珠に「寛永拾歳」と銘刻されている。 本堂外陣げじん(礼堂らいどう)の廊下から南の谷へ間口約18メートル、奥行約10メートルに、長さ5.5メートル、 幅30~60センチ、厚さ10センチの檜板を敷きつめ檜舞台として張り出し(舞台板は20~30年毎に張り替える)床下は巨大な欅けやきの柱に貫を縦横に通し楔くさびでとめて頑強に支え、いわゆる舞台造りになっている。*楔:木や金属で、一端が厚く他端に至るにしたがって薄くなるように作ったもの。 建築学的には、懸かけ造りといい、礼堂の下から長短の欅柱で構築されており、観音様のお住まいとされる南インドの峻険な補陀落(ポトラガ)山中の宝殿に実に似つかわしい。最南端は錦雲渓きんうんけいの急崖きゅうがいに13メートル強の高さで建ち「清水の舞台から飛び下りるつもりで…」の諺を生んできた。「本来は本堂に奉祀する御本尊 千手観音様に向って舞楽を奉納する、名実共に「舞台」で、現に重要な法要には舞楽、芸能などを奉納している。東、西両側の翼席は、その楽人たちの詰める楽舎である。この舞台からの、錦雲渓をへだてた向山の子安の塔と阿弥陀ヶ峰の眺めや、京都市街、西山の遠望は、まことに見事である。左下方には、清水寺」の寺名を由来する音羽の滝がこんこんと三筋の清水を流し、その上まには同じく舞台造りで奥の院(重要文化財)が建つ。 子安の塔と阿弥陀ヶ峰の眺め音羽の滝奥の院 本堂(礼堂)
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清水寺 鐘楼~随求道~轟門
清水寺 鐘楼~随求道~轟門 鐘楼 平安期に建造され、江戸時代中期の1607年に現在の場所に再建・移築されました。桃山建築様式の粋を凝らしたつくりで、牡丹彫刻の懸魚や、菊花彫刻の蟇股、四隅の柱の先にある獏と象の木鼻などが見所です。 水子観音 水子供養とは、日本独特の慣習で、この世に生を受けることができなかった胎児の冥福を祈ることを指します。 随求堂(ずいぐどう) 1718年の再建。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。また、縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りしています。ここでは胎内めぐりを体験できます。※胎内めぐりは、新型コロナウィルス感染症の拡大防止のため2020年3月23日より一時的に中止いたします。再開は今後の政府の発表等の状況を鑑みながら慎重に検討し、決定する予定です。https://www.kiyomizudera.or.jp/map.php 「暗闇の中、数珠をたどり、語感を解き澄まして進みます。やがて、淡い蛍光が浮かぶ、随求菩薩の梵字(ハラ)に出会い、ほっと心が癒される。その石を回して拝み、さらに前進して太陽の光明を浴びて歓喜。きっとあなたは心身の新生を覚えるでしょう。」 随求道 数珠随求道 ハラ 残念ながら今はコロナウイルスの為、胎内めぐりができないですが、また再開された折には絶対におすすめのスポットです。入場に100円かかりますが、多くの人が知らないで通り過ぎていますが、実際に体験してみると、本当に真っ暗な空間、まったく明かりがない状態をあらためて経験するとびっくりします。 壁沿いにある数珠をたどりながら進んでいき、途中、薄明で照らされた石があります。その石を回して拝み出口に進みます。 経堂経堂 三重塔 開山堂(田村堂) 轟門 朝倉堂 朝倉堂 轟門轟門手水舎足腰に効く仏足石 轟門、轟橋 轟門は本堂への入り口で、徳川家光による寛永の大造営再建の時に造営された門で、奈良 東大寺の転害門を縮小して模した門であるといわれるいます。 朝倉堂 清水観音を信仰していた越前の朝倉貞景が、本堂を模した「法華三昧堂」として寄進したもの。現在の建物は1633年(寛永10年)に再建。堂内中央の宝形造り唐様厨子内に、十一面千手観音、脇士に地蔵菩薩・毘沙門天を祀る。洛陽三十三所観音霊場第十三番札所。 足腰に効く仏足石  平氏の侍大将平景清の足形ともいわれているもの。
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清水寺 仁王門~三重塔
清水寺 仁王門~三重塔 清水の伽藍は室町時代に全焼。 室町期に焼失した伽藍のほとんどが徳川家光による寛永の大造営(1631-1633)の間に復元されています。
巡る | 音羽山 清水寺
京都府京都市。「清水の舞台」で知られる寺院。北法相宗の本山(一寺一宗)。縁起、年中行事、境内案内。
仁王門 西門 仁王門は清水寺の正門です。応仁の乱よって焼失され、16世紀初めに再建、2003年に解体修理されました。幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、再建当時の特徴を示する楼門です。 祥雲青龍 清水寺で行われる青龍会(せいりゅうえ)誕生から15年に当たり、それを記念して造られたそうです。京都は四神相応の地とされ、北の船岡山を玄武、南の巨椋池おぐらいけを朱雀すざく、西の山陰道を白虎、東の鴨川を青龍が守っています。 仁王門 西門からの景色 西門 三重塔仁王門京都市内の景色仁王門 鐘楼(右) 西門からの景観西門西門からみた仁王門 市内景色 重要文化財 西門さいもん  江戸初期 寛永八年(一六三一)の再建。三間げん一戸こ、正面八・七m、側面三・九m の優雅な八脚門で、西面して急な石段上に建つ。 単層,切妻きりつま造り、桧皮ひわだ葺ぶき屋根で 正面には向拝こうはいをつけ、七段の木階を設け、床と共に高欄をめぐらし、背面には軒のき唐破風からはふを架ける大層珍しい形式になる。軒は二重繁垂木しげたるき、斗(ます)ぐみは和様一手先ひとてさきでぐ出組み。左右の脇間に鎌倉様式の写実性と量感ゆたかな持国天と増長天の立像を奉祀する。開放されている中央の間は立派な折上おりあげ小組こぐみ格天井ごうてんじょうとなり、また随所に勝れた蟇股かえるまた・虹梁こうりょう・木鼻などを多く備え、平成五年(一九九三)丹塗りと極彩色文様が復元され桃山様式の華麗さを再現している。拝殿風の華美なこの門からの京都市街・西山の眺望は素晴らしい。勅使門にも使われたが、絶好の洛中展望台とされ、かつ西山に沈む夕日の見事さに西方極楽浄土を観想する日想観拝所となったとも考えられる。前方の仁王門と二門が相並び立つ趣向は格別に意味深長である。 *日想観は時と場所を選ばないもっともシンプルな修行法です。西の空に沈む夕暮れの太陽を見つめ、朱く染まった空に極楽浄土を想うだけで、観音さまの教えを体感することができます北法相宗清水寺 三重塔 重要文化財 三重塔  この塔は 当山ご本尊観世音菩薩の御霊験よって嵯峨天皇の皇子ご生誕あり 承和十四年(八四七)葛井親王が勅命を奉じて創建されたと伝える。現在の塔は寛永九年(一六三二)の再建で、日本最大級の規模をもち、三間四方、高さ二九.七mに達す。昭和六十二年(一九八七)文化庁の助成をえ、京都府教育委員会に委託して解体修理、彩色復元の落慶をみた。一重内陣の中央に大日如来坐像を安置し、四面の壁に真言八祖像・四天丸柱に密教的な仏画を描き、柱は雲天竜、天井その他は飛天 、華型幾何文様が極彩色で全面荘厳されている。なお今回の修理で全重を総丹塗りに戻し、他塔にその類例を見ない 各重の丸桁 台輪長押などの各種極彩色文様をすべて寛永の昔に復元した。一重で見ると、軒下の丸桁の両端は摩喝魚(まかつぎょ)中央は「金剛盤に宝珠」中段の台輪の両端は出八双卍崩円竜」中帯は「向い蝶」下方の長押の両端は入八双若芽唐草」中帯は「四弁花羯磨繋」の文様になっている。 北法相宗清水寺 
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