若宮神社(わかみやじんじゃ)
若宮十五社めぐり 第1番納札社
御祭神: 天押雲根命 様 :正しい知恵をお授けくださる神様
若宮神社 本殿 拝舎
若宮神社について(春日大社参道にある)
摂社若宮神社は平安時代、時の関白・藤原忠通公が中心となり、鳥羽上皇のご要請・御心遣いを頂き、社会の安定と人々の幸せを実現するため、春日大社の御子神(若宮)様を、御本社(大宮)の南方百メートル隔てた御蓋山麓の浄地に新しい社殿を創建し、お遷り頂きお祀り申し上げたのが若宮神社の始まりです。
*鳥羽天皇:堀河天皇の皇子。子の崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の3代28年に渡り院政を敷いた。
*御子神:神社において親子関係にある神が祀られる場合、子に当たる神のこと。
1135年2月27日、その待ちに待った御遷座の当日、京よりは鳥羽上皇の春日御幸があり、藤原忠通公やその父である前太政大臣の藤原忠実公はじめ、数十人が随従する錚々たる大行列で奈良に下向、国家安泰を願うに相応しい厳粛な儀式が執り行われました。
*遷座:天皇または神体・仏像の座を他の場所にうつすこと。
*御幸(ごこう、みゆき)(天皇の「行幸」に対して)上皇・法皇・女院の外出。
御祭神であります若宮様は、春日大宮の四柱の神様のうち、第三殿の天児屋根命様、第四殿の比売神様御夫婦の御子神様として平安時代中期
となる1003年、御誕生なされた神様です。その後、春日大宮で五番目の御本社格の神様(五所御子)としてご一緒にお祀りを申し上げておりましたが、その若々しい優れた霊験でもって、より人々をお救いされる御力を発揮頂くべく、多くの人々の願い、尽力で若宮神社の創建が叶いました。
当時、気候不順不作で困っている人々の為に若宮様は絶大な御霊験を発揮され、すべての禍い事を祓い去り、その御加護により好天にして作物豊饒となり、万民ことごとく歓喜し踊ったと記されています。それ程に絶大な御力を発揮され、篤い崇敬が寄せられてきた、今日では人々の生命力を増進させ、正しい知恵をお授け下さる神様として知られる、日本を代表する神社です。
春日若宮おん祭
春日大社の摂社である若宮の御祭神は、大宮(本社)の第三殿天児屋根命と第四殿比売神の御子神であり、その御名を天押雲根命と申し上げます。平安時代の中頃、長保五年(1003年)旧暦三月三日、第四殿に神秘な御姿で御出現になり、当初は母神の御殿内に、その後は暫らく第二殿と第三殿の間の獅子の間に祀られ、水徳の神と仰がれていました。
https://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/wakamiya.html
長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済の為若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まりです。
若宮紅梅
若宮紅梅は1581年 大和長谷寺にある紀貫之の名紅梅「人はいさ」の穂木から接ぎ木した梅の木とのこと。
*紀貫之:平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。『古今和歌集』の選者の一人。
*接ぎ木:植物体の一部分(枝,芽,根)を他の個体に接着させ,両者を癒合させる技術。接木植物の台となる部分を台木といい,台木に接着させる部分を接穂または穂木という
若宮神社細殿及び神楽殿一棟
1135年創建。北(向かって右)より三間を細殿、一間を御廊、六間を神楽殿といい、三つの建物が一棟に合わさった建物であり、平安末期の寝殿造の遺風を伝えている。諸祭典に社伝神楽がここで奏せられる。
*寝殿造:平安時代に完成した貴族住宅の様式。
八房藤(やつふさふじ)
八房藤は5月頃に咲くみたいので、また来年見頃な時に参拝したいと思います。
若宮十五社めぐり 第3番&第4番納札社
第3番納札社 兵主神社
大己貴命 様 :延命長寿をお守りくださる神様
第4番納札社 南宮神社
金山彦神 様 :金運のご守護くださる神様
若宮大楠
若宮大楠 若宮神社の北側にある巨樹、幹周11.46m。圧巻である。
”神功皇后 お手植えと伝えられる。”と書かれているが、神功皇后の生年月日が西暦169年とでてくるので、何年前の話? 1800年ぐらい前に植えられた?
御間道を通って春日大社大宮へいきます。