八坂神社
八坂神社 楼門 鳥居
南楼門 下河原通に面したこちらの門が正門。楼門前の石鳥居は1666年再建の重文。
西楼門は東大路通り(四条祇園)に面しており、石階段は待ち合わせ場所としても有名な場所。1497年に再建されたもの。
西楼門
南楼門
舞殿 拝殿 本殿
素戔嗚尊、櫛稲田姫命 及び八柱御子神を祭神とする神社で、一般に「祇園さん」 又は「八坂さん」として親しまれている。
京都市
社殿によると、平安遷都以前の斉明天皇二年(六五六年)にこの付近に素戔嗚尊を 祀ったのが当社の起こりといわれている。
京都三大祭の一つである祇園祭は、毎年七月に行われる当社の祭礼で、平安時代の 貞観十一年(八六九年)に各地で疫病が流行した際に、当時の国の数に合わせて 六十六本の鉾を立て、神泉苑に神輿を送り、その鎮まりを祈った御霊会(怨霊を退散させる祭り) を起源とするもので、天禄元年(九七〇)ごろから毎年行われるようになった。
大晦日の夜から元旦にかけて行われる「をけら詣り」は薬草である「をけら」を 混ぜて焚いた「をけら火」を授かり、新年の無病息災を祈るもので、毎年多くの人でにぎわう。
また、一月三日には十二単姿の女性による「かるた始め式」が行われる。
御本殿(十三座)
中御座 素戔嗚尊(すさのをのみこと)
東御座 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
御同座 神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)・佐美良比売命(さみらひめのみこと)
西御座 八柱御子神(やはしらのみこがみ)
八島篠見神(やしまじぬみのかみ)
五十猛神(いたけるのかみ)
大屋比売神(おおやひめのかみ)
抓津比売神(つまつひめのかみ)
大年神(おおとしのかみ)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
大屋毘古神(おおやびこのかみ)
須勢理毘売命(すせりびめのみこと)
傍御座 稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)
祇園の御神水
南東にある祇園の神水は「力水」とも呼ばれ、水を飲んだ後、隣接する美御神社にお参りすると美人になるといわれている。本殿の下には龍穴と呼ばれる深い井戸があり、神泉苑と繋がっているといわれています。八坂神社のある東山は四神相応の東の青龍にあたり、この龍穴を青龍が守っているともいわれています。
大神宮社(だいじんぐうしゃ)
皇室の祖先神であり八坂神社ご祭神、素戔嗚尊の姉神にあたる天照大御神(内宮)と衣食住をはじめとした産業の守護神である豊受大御神(外宮)を祀る。
*神宮と呼ばれる基準としては、皇室の祖先神を祀っているかどうかです。
平忠盛燈籠&祇園闘乱事件
永久年間の頃(十二世紀)白河法皇が祇園女御の許に赴かれようとしてこのあたりを通られた時、折しも五月雨の降る夜で前方に鬼のようなものが見えた。法皇は供の平忠盛に討取ることを命じられたが、忠盛はその正体を見定めての上とこれを生捕りにしたところ、油壺と松明とを持ち燈籠に燈明を献ろうとしていた祇園の社僧であった。雨を防ぐ為に被っていた蓑が灯の光をうけて銀の針のように見えたのであった。忠盛の思慮深さは人々の感嘆するところであったと云う。この燈籠はその時のものといわれている。
案内版より
悪王子社(あくおうじしゃ)
「悪王子」とは、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒魂のことです。神の霊魂は2つの側面があり、荒魂は、荒々しい側面で荒ぶる魂、和魂は神の優しく平和的な側面。 悪王子の悪は「善悪の悪」という意味ではなく「強い」という意味で、悪王子は霊験あらたかな神様として篤く信仰されています。
*あらたか:神仏の利益(りやく)が際立ってあるさま。
美御前社(うつくしごぜんしゃ)
もっと美しくなれると女性に人気の神社
祭神
市杵島比売神(いちきしまひめ)
多岐理比売神(たぎりひめ)
多岐津比売神(たぎつひめ)
美御前という名の通り、美を象徴する神として祭られています。本社の祭神、素戔鳴尊が天照大神(あまてらすおおかみ)と誓約(うけい)をされたとき、素戔鳴尊のもっておられた十挙剣(とつかのつるぎ)を振りすすいで生れた三柱の女神で、宗像三女神といい、清掃・潔白の証しとなった神々で、俗に弁天さんといわれるのもこの市杵島姫の神です。古くから祇園の芸妓さんをはじめ美しくなりたい願望の女性はもとより、美容理容・化粧品業者の崇敬を集めています。
*十挙剣(とつかのつるぎ)日本神話に登場する剣の総称。
美御前社と忠盛燈籠の間に鎮座する悪王子社(あくおうじしゃ)。御祭神は素戔嗚尊の荒魂。
茅の輪くぐり
蘇民将来子孫也( そみんしょうらいしそんなり) と唱えながら茅の輪をくぐっていきます。
茅の輪くぐりとは、参道の鳥居などの結界内に、茅(ちがや)という草で編んだ直径数メートルの輪を作り、これをくぐることで心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈願するというものです。 日本神話のスサノオノミコトに由来するといわれ、唱え詞を唱えながら8の字に3度くぐり抜けます。
日吉社(ひよししゃ)
刃物神社
苦難を断ち切り、未来を切り開く。
刃物大神の由来
京都は平安時代より明治維新に至るまで王城の地として栄え、その間、刀剣を初め刃物の製作に幾多の名工を輩出、刃物発祥の地として隆盛を極めてきました。刃物の基礎はこの地の土壌に培われ、また、ここで修業せし人々をも各地に転出させ、この技術を源流として、それ ぞれ刃物産地の基礎を確立いたし現在に至っております。
わたくしたちは、これら祖先の遺業を偲び伝統をうけつぎ、京刃物の真髄を後世に伝えるとともに、業界の振興と啓蒙を目的として、ここに 有志相図り刃物神社を奉献するに当り、その由来を識す。
五社(ごしゃ じんじゃ)
祖霊舎(それいしゃ)
厳島社(いつくしましゃ)
祭神:市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)
市杵島比売命は、素盞嗚尊が持つ剣から産まれた三女神(美御前社祭神)の一神です。古くから容姿端麗で舞を踊ることから舞踏謡曲の神として崇められ、祇園の祇園の舞妓・芸妓から崇敬されています。
稲荷社
北向蛭子(えびす)社
祭神 事代主神
俗にエベッさんと称され、福の神、商売繁盛の神として崇敬されています。事代主神は大国主の御子神ですから素戔嗚尊の孫神にあたります。
記録によると中古以来「西楼門内、北向きに立つ」とあり、古くから現在地にありました。現社殿は正保三年(一六四六)の建造で国の重要文化財に指定されていまして、平成十年六月(柿葺)葺替、塗替行いました。一月九・十日、初えびすのお祭りは商売繁盛のご祈願で賑わいます
「祇園のえべっさん」八坂神社の北向かいに建てられていることが珍しく、北向蛭子社と呼ばれています。正式には言代主大神といい、大国主大神の御子神で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の孫神にあたります。
大国主神社
祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
大国主命は大己貴神(おおなむものかみ)・八千矛神(やちほこ)・その他多くの名をもち本社の
祭神素戔嗚尊(すさのをのみこと)の御子とも六代の孫とも伝えられます。
出雲の神さまで俗に「大黒(だいこく)さん」といわれる福の神であり、縁結びの神とされています。
事代主命はその御子、少彦名命は医薬の神で大国主命とともに国造りに励まされました。
太田社
祭神: 猿田彦神 天鈿女命
駒札より
猿田彦神(さるたひこのかみ)は天孫降臨に際して、日神の使いとして先導の役割を果たした、導きの神とされています。
*天孫降臨(てんそんこうりん)とは、天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大御神の神勅を受けて葦原の中津国を治めるために、高天原から筑紫の日向の襲の高千穂峰へ天降(あまくだ)ったこと。
*日神(にちじん) 天照大神のこと
天鈿女命(あめのうずめのみこと)は天照大神の天岩戸隠れに際し、岩戸の前で神楽を舞った神であり、天孫降臨にお伴をして、猿田彦神と対面してともに導き、宮廷神楽を奉仕した猿女君の遠つ祖であり、芸能の神とされています。
*猿女君(さるめのきみ)は、古代より朝廷の祭祀に携わってきたとされる一族。
疫神社(えきじんじゃ)
祭神 蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)
むかし祖神が諸国を巡って日暮れに宿を請うたところ巨旦将来は富み栄えていたのに貸さず、蘇民将来は貧しかったけれども粟殻で座をしいて粟の粥で手厚くもてなしましたので、「われはハヤスサノヲの神なり」といい、後年疫病が流行しても茅の輪をつけて「蘇民将来の子孫なり」といえば、災厄から免れしめると約束され、巨旦将来の子孫は皆絶えてしまいましたが蘇民将来の子孫は今に栄えています。