龍安寺 方丈 石庭
庫裡
臨済宗妙心寺派の寺院で、平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。
京都市
もと徳大寺家の別荘であったが、宝徳2年(1450)に細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天玄承を招いて禅院とし、玄承はその師日峰宗舜を開山として、自らは創建開山となった。一時、応仁の乱により焼失したが、明応8年(1499)に細川政元が再興し、その後、各僧が相次いで住し、豊臣秀吉や徳川氏も寺領を寄付するなどして、最盛時には塔頭二十三を数えるほど栄えた。しかし、寛政9年(1797)に火災に遭い、その後次第に再建されたが、盛時の寺観は復興していない。
方丈庭園(国の史跡及び特別名勝)は、室町時代末期の作と伝えられ、枯山水の石庭として有名である。長方形の敷地の中に白砂を敷き、十五個の石を配し、一木一草も用いず象徴的に自然を映し出しており、枯山水庭園の極致を示したものといえる。あたかも渓流を虎が子を連れて渡っているようにも見えるため、「虎の子渡し」とも呼ばれる。
方丈の東には、水戸光圀の寄進と伝えられる「吾唯足知」と刻まれた石造りの手水鉢がある。そのほか、寺宝として、太平記十二冊(重要文化財)などを所蔵している。
ミニチュア 石庭
龍安寺の方丈石庭。土壁に覆われた方丈石庭には全部で15個の石が配置されており、方丈から眺めた場合、どの位置から眺めてもこれら15個の石すべてを見通すことはできない。
石庭
石庭は縦約10メートル、横約25メートルの油土塀に囲まれた約75坪ほどの枯山水庭園。枯山水庭園は室町時代の禅宗寺院に多い造りで、龍安寺石庭は室町時代末期に禅僧によって作庭されたと言われていています。
方丈
蹲踞(つくばい)吾唯足知
龍安寺茶席藏六庵の蹲踞の実物大の模型です。
案内版
「吾れ唯足ることを知る」と読む。この「つくばい」は水戸光圀の寄進によるものと伝えられています。仏遺教典(お釈迦様遺言のお経)の中に
知足の者は貧しと雖も富めり
不知足の者は富めりと雖も貧し
とあるところからとったものです。
これは禅の真髄であり、茶道の精神でもあります。これが真の平和の精神であります。
侘助椿(わびすけつばき) :桃山時代、侘助(わびすけ)という人物が朝鮮から持ち帰ったことで、このように名付けられたと言われている。侘び寂びの世界を感じさせるこの花は、千利休などの茶人たちに愛された花としても有名で、秀吉によって賞賛されたと伝えられている。
油土壁 勅使門
昭和50年(1975年)に英国エリザベス女王が来日し、龍安寺を訪れた際に使われました。