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六請神社 真如寺

六請神社(ろくしょうじんじゃ)

古来、衣笠山麓に鎮座していたので衣笠御霊とも衣笠岳御霊とも呼ばれ、その山に鎮まる先人の霊を合わせ祀ったのに始まる。
 おそらくは上古この地の開拓者の代々の霊を祀ったものであろう。昔は開拓の祖神を天照国照神(あまてるくにてるのかみ)または大国御魂神(おおくにみたまのかみ)と呼んだところから、その天照国照がいつしかこの社の祭神に天照大神ら六柱を勧請して六請神というようになったのである。
 足利氏の等持院創立以来はその鎮守社として境内にまつられていた。神仏分離の時から現地に移ったという。
 衣笠はその名の示すように中世以来埋葬地となっていたところから霊を守る六地蔵の信仰と習合して六の字が社号に加えられ、したがって祭神数が伊勢、石清水、賀茂、松尾、稲荷、春日の六に限定されたのは民俗学的に興味のある問題である。いずれにしてもこの方面の功労神である。

拝殿

伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日の大神を祭神と仰ぎ、桓武天皇の延暦年中衣笠山麓鹿苑院の南に鎮座された古社である。のち清和天皇貞観元年十一月、同六年十一月上の申の日に祭礼が営まれた後小松院の応永四年には鹿苑院義満公が六座の大神を等持院の側らに勧請して尊崇の誠を効したと伝えられる。また松尾大社の遙拝所として知られているが、古来等持院小松原一帯の産土神と称えられ氏子の崇敬はことのほか篤い。

拝殿 本殿

力石大明神

力石大明神由来

此の石は古くより祈願して持ち上げればあらゆる力を授けられる。
 天命九年より凡七七〇年以前より特に産子(氏子)の多数の人々が持ち上げて安産・学力・試験・就職・その他の誓願成就を祈り御力を頂いておられるので、今回此実例を知悉している篤き崇敬者及び氏子の発起により御奉鎮申上げたる次第にて、此石を持ち上げる代わりに小石に本人の氏名・性別・年齢とお祈りの事由をお書きになり奉納して頂ければ必ず御利益が授かる不思議な神石であります。
 御利益を頂かれたお方は必ず前記と同様に小石に誓願成就御札と書いて御奉納下さい。
 その小石は御祈念申上げたる神石を社務所にてお受け下さい。

真如寺(しんにょじ)

臨済宗相国寺派の真如寺は、鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)とともに、大本山相国寺の三つある山外塔頭の一つとして、また古くは五山十刹の十刹にも数えられていました。勧請かんじょう開山は無学祖元むがくそげん(仏光国師)の弟子であった無外如大尼むがいにょだいにが、師の没年の弘安九年(1286)に、遺髪や爪を祀るためにこの地に「正脈庵しょうみゃくあん」を開いたのが始まりである。無学祖元の法を継ぐ夢窓疎石(夢窓国師)が、足利初代将軍尊氏の執権・高師直(こうのもろなお)の外護を受けて大伽藍を整え、以後室町幕府の手厚い保護を受けた。

 明暦二年(1656)に後水尾上皇によって再興された法堂(仏殿)「大雄殿だいおうでん」には、中二階風の須弥壇があり、仙洞御所から寄進された宝冠釈迦如来像を安置している。また客殿には、原在中はらざいちゅう筆の襖絵「西湖せいこ図」「四季花卉かき図」が残る。

 大正七年(1918)に新たな鎮守として「半僧坊はんそうぼう大権現」を相国寺山内より境内に移し、現在に至る。

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