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世界遺産 天龍寺① 総門から

世界遺産|京都 嵯峨嵐山 臨済宗大本山 天龍寺 公式ホームページ
臨済宗大本山「天龍寺」の公式ホームページ...

総門~弘源寺~八幡宮~法堂

総門 南門

駐車場は南門から入ります。係員の人が立っていますので、入庫時に支払います。

総門 駒札

霊亀山れいぎざんと号する臨済宗天龍寺派の大本山で、釈迦如来を本尊とする。
平成6年(1994)に世界文化遺産に認定登録された。
足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、暦応2年(1339)、夢窓疎石を開山に迎え創建した寺院で、当初は暦応資聖禅寺と称されたが、尊氏の弟直義が見た金龍の夢に由来し、天龍資聖禅寺と改められた。
その後、寄進や天龍寺船の貿易収入により伽藍が整えられ、至徳3年(1386)には、京都五山の第一位を占め、大いに隆盛を極めた。
しかし、度重なる災火により堂宇を焼失し、現在の諸堂は明治以後に再建されたものである。
夢窓疎石の作庭と伝えられる地泉回遊式庭園は曹源池を中心に遠景の嵐山と近景の亀山の借景を巧みに取り入れており、国の史跡及び特別名勝第一号に指定されている。
また、寺宝として、絹本著色夢窓国師像など数多くの重要な文化財を蔵している。

京都市

中門

勅使門

中門より少し南に勅使門があります。

放生池(ほうじょういけ)

妙智院 西山艸堂

妙智院 西山艸堂

塔頭のひとつ「妙智院」 御本尊:釈迦牟尼仏 天龍寺七福神(宝徳稲荷)
西山艸堂「せいざんそうどう」:妙智院の中にある 嵯峨野で最も古い湯豆腐専門店。土鍋の中には「森嘉」の本場嵯峨どうふ、そして前菜3種・オリジナルの豆腐のお寿司・ひろうず・ごま豆腐・生湯葉・山いも・ししとうなど季節野菜の精進揚げが添えられる。

塔頭寺院 弘源寺

弘源寺 - 臨済宗大本山天龍寺塔頭寺院
京都嵐山に位置する大本山天龍寺の塔頭寺院、弘源寺(こうげんじ)のウェブサイトです。

慈済院 水摺福寿大弁財天

慈済院(じさいいん) 水摺福寿大弁財天(みずずりふくじゅべんざいてん)

「本殿に安置し奉る大辨財尊天は 七朝の帝師として道徳の誉れ高く 禅風を挙揚して 普く衆生済度の功業を施し給える
天龍寺開山夢想國師が霊感に依り 法力信念を籠め一刀参禮を以って彫刻し 後生利益の為に当院開山佛慈禅師に授與した眞に由緒深き御霊像なり 世に開運出世大辨財尊天と尊称し奉る
新水吉日を卜として 香水を以って尊影を浄写し「巳成金の日」の大祭に抽籤により篤信者に謹呈す 故に水摺福壽辨財尊天と通称し奉る
六百五拾有星霜その霊験顕著にして香華の絶えることなし」

駒札より

天龍寺七福神めぐりの一つである弁財天(水摺大弁財天)みずずりべんざいてんを祀る。夢窓疎石(1275-1351)が、一刀三礼して彫りあげた弁財天を、着物にも不自由していた弟子・無極志玄むきょくしげんに授けたという。後に、志玄は栄達し、天龍寺の二代目となり、慈済院を開山するに至った。これも弁財天のご加護によるものとして、「水摺り」香水で弁財天の姿を写し、信者に配布したことから「水摺大弁財天」と呼ばれた。
* 弁財天の御利益:立身出世

別院塔頭 松巌寺

別院塔頭たっちゅう 松巌寺(しょうげんじ) 仏像 七福神の一人、福禄寿天を祀る。 福禄寿の縁日、節分の2月3日のみお堂は公開されているとのこと。

福(子孫繁栄)、禄(財産)、寿(健康長寿)の三徳が揃ってこそ人は幸せという古代中国におきた道教から来ている福の神。幸福の「福」と好運、財福の「禄」、寿命の「寿」三徳を備えた長寿の七福神。

総鎮守社の八幡社

八幡大社: 御祭神 八幡大菩薩。天龍寺の総鎮守社。

鳥居には「八幡大菩薩」、社殿には「護国霊験」の扁額が掛かっている。

「一九四一年に始まった太平洋戦争は、有史以来の戦争の様相を大きく変えた。それは、本格的な航空戦が加 ったゆえである。無限の広がりを持つ新しい空の決戦場は、多数の飛行機搭乗員を必要とした。高度な飛行技術と強靱な精神力を求められる搭乗員は、年少期よりの専門教育が至情とされるところから、厳しい訓練に耐え得る鋼のような肉体と純真でひたむきな学習力を持つ青少年に、国を挙げての期待が集まるのは当然の成り行 きであった。空はまた、青春の心を捉えて止まない魔力を備えていた。かくして若者は、学業なかばにして次々と 飛行機乗りの道を選び、熾烈な空の戦いに参加して多くの者が散華していった。彼らには、名利や栄達への欲望など一切なかった。祖国を呑み込もうとする怒濤の前に、己が生身を投げ出す事が、平和の礎になるものと信じて疑わなかった。同じ思いをわかち合いながら、紙一重の差で戦後を生かされた空の仲間達は、先駆けた友の霊を慰め、その願いを後世に伝えるよすがとして観音像の建立を発願したが、砲火を交えた異国の人々にも思いを巡らす時、同じ空の戦いに散った翼の友として、彼我の別なく追悼する事に異論の有ろう筈もなかっ た。さらに航空殉難者も合わせ回向する旨を広く世に問うたところ、胎内に収める写経三万巻と浄財が寄せられ、世界の平和と航空安全の本尊として、飛雲のおん名を奉る観音像がここに建立された

ソ連抑留死没者慰霊碑

第二次大戦後 ソ連に抑留され不帰の客となったはらからの霊とこしえに眠りませ

チタ州フカチャチャ収容所から帰還した我らは 昭和44年10月10日 ようやく同収容所で永眠された千余柱の英霊を初めソ連地区抑留戦没者並びに帰還後死没者の合同葬儀をここ天龍寺にて執り行うことができた これら同胞の遺品と過去帳をここに納めて 世界の永遠の平和を念じつつ この碑を建立てる。

法堂 駐車場側(東側)

宝厳院入り口

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