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嵐山 大堰川 渡月橋

嵐山 大堰川 渡月橋

大堰川

大堰(おおい)の邸(やかた)候補地

桂川の嵐山周辺を大堰川、その一帯を大堰と呼ぶ。平安時代の初期からこの近辺は景勝地とされ、多くの皇族・貴族は好んでこの地を訪れ、船を浮かべるなどして詩歌管絃の遊びを行った。恒例となった五月の車折くるまざき神社の「三船祭」は、大堰川での舟遊びを再現したものである。
『源氏物語』「松風まつかぜ」には明石上が母の尼君、娘とともに大堰に住む描写があるが、その場所が「大井(堰)川のわたりにありける」とあることから、この居所の推定地の一つとして、平安時代前期の桓武天皇の大堰離宮が掲げられる。その近くには光源氏の御堂(現在の清涼寺付近)があった。
1988年に当地で行われた発掘調査では、平安時代前期の建物に伴う園池跡が見つかり、桓武天皇が度々行幸された大堰離宮跡である可能性が高い。

渡月橋

渡月橋(とげつきょう)
承和三年(八三六)に弘法大師の弟子の僧 道昌どうしょうによって大堰川の修築が行われ、その時に架設されたのに始まると言われ、千年以上の歴史を持つ由緒ある橋である。橋の南に法輪寺があったため、当時は「法輪寺橋」と称されており、渡月橋という名は、後に亀山上皇が東から西へ月が渡る様子を見て名付けたと言われている。
 往時の橋は、現在の場所より100mほど上流にあり、慶長11年(一六○六)に角倉了以が保津川の開削工事を行った際に現在の場所に架け替えた。
 現在の橋は,鉄筋コンクリートを主体とする近代的な構造であるが、京都を代表する景勝地の風景と調和さ,せるため、木橋であった旧橋の意匠を継承している。
平成17年(2005)には、桂川の水を利用した嵐山保勝会水力発電所が整備され、それを電源とした足下灯あしもととうが、夕暮れ時から波月橋を照らしている。このような自然エネルギーを利用した取組は、地球温暖化防止にも寄与している。

2018年7月の豪雨時の大堰川

渡月橋 南東側から

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