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吉田神社 ① 鳥居 参道 本宮

鳥居 参道 本宮 神楽岡社

鳥居参道

京都大学 正門 東大路-東一条
一の鳥居 社碑
ご祭神と由緒−吉田神社

二の鳥居 祖霊社

祖霊社由緒:本祖霊社は、宗教法人太元講社社員の各霊位を奉祀し各霊の年祭ならびに毎年春秋2回大祭を執行し、霊魂を慰めるため、1883年(明治16年)4月に、現在に霊社を創立されました。

今宮社 今宮社四神石

今宮社
祭神:大己貴神(おおなむちのかみ)
   大山祇神(おおやまづみのかみ)
   健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
由緒:鎮座の年代は詳(つまびらか)でないが、順徳天皇建保3年(西暦1215年)吉田小神社駐進状の内に其の名既に明かで、光格天皇文化13年(西暦1816年)現地に造営され古くから木瓜大明神と称し吉田町の産土神である。

今宮社四神石
今宮社に四神石あり、本殿の東南に青龍石、西南に白虎石、西北に玄武(亀)石、共に三石あり。東北の朱雀石は内陣に有りと伝えられる。(文化年記に記載、今から180年前)いずれも方位を守る霊石なり。

参集殿 陳列所 火炉 神杉

本宮鳥居 舞殿

吉田神社
 祭神として健御賀豆知命たけみかづちのみこと伊波比主命いはいぬしのみこと天之子八根命あめのこやねのみこと比売神ひめがみ の四神を祀る。
 清和天皇 の貞観元年(八五九)四月、古くからの霊域であったこの吉田山に、中納言・藤原山蔭ふじわらのやまかげ 卿が平安京の鎮守神として春日の四神を勧請し、以来、朝廷の信仰も厚く、正暦二年(九九一)には、朝廷から特別の奉幣を受けるニ十ニの社「ニ十ニ社」の前身である十九社奉幣に列する。
 次いで、室町時代 の中頃、神官の吉田(卜部うらべ)兼倶かねとも吉田神道(唯一神道)を大成し、以上に斎場所大元宮たいげんぐうを造営してから、吉田流神道の総家として明治に至るまで神道界に大きな権威を誇った。大元宮(重要文化財)には全国の神々が祀られ、ここに参ると全国の神社に参ったのと同じ効験があると信仰されている。 本殿は慶安年間(一六四八~一六五一)の建築で、朱塗春日造である。境内には、大元宮のほか、地域の氏神・雷除神として有名な神楽岡社吉田兼倶 を祀る神龍社しんりゅうしゃ料理の神を祀る山蔭神社お菓子の神を祀る菓祖神社など多彩な末社、摂社が多い。
 毎年節分の日を中心に三日間行われる節分祭は、疫神祭えきじんさい追儺式ついなしき火炉祭かろさいの三部に分かれ、追儺式は
鬼やらい」として特に有名で、毎年多数の参拝者でにぎわう。

京都市

拝殿 本宮

神楽岡社

摂社 神楽岡社
祭神:大雷神(おおいかづちのかみ)
   大山祇神(おおやまづみのかみ)
   高龗神(たかおかみのかみ)
由緒:鎮座の年代はつまびらかでないが、延喜式に霹靂神(へきれきじん)、神楽岡(かぐらおか)に坐すと記してあり、神楽岡地主の神、又雷除の神として崇敬厚く、同町の氏神である.

若宮社

若宮社
祭神:天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)
由緒:天忍雲根命は本宮第三殿の祭神、天之子八根命(あめのこやねのみこと)の御子で水徳神である。初め本宮の第二殿と第三殿の間に無社殿で祭られてあったのを、後醍醐天皇延元元年、吉田兼煕(かねひろ)社殿を造営し、後光明天皇慶安元年(1648)此処に遷座。

国歌 君が代に詠まれているさざれ石

国歌 君が代に詠まれているさざれ石
 この石は国歌発祥の地といわれる岐阜県春日村の山中にあったものである。平安朝時代、文徳天皇の皇子惟喬親王に仕えた藤原朝臣石位左衛門は春日村君が畑、京都の往復した道中に古屋部落の谷間で渓流に山積するさざれ石を見て詠んで奉った歌が
  わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで
の一首であり、古今集に採録された実に目出度い石である。この石は学名を石灰質角礫岩という石灰石が長い年月に雨水で溶解され、粘着力の強い乳状液が小石を凝結し巨岩となり苔むしたものである。君が代はあなたの世代を何時までも千代に八千代に栄えて幸あるようにと祈る歌詞で悠久なる日本が永遠に栄えるようにと実にすばらしく美しいかぎりである。(岐阜県天然記念物)

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