権殿~千本鳥居
権殿と横に建つ鳥居
内拝殿-本殿にてお祈りして、授与所を過ぎると権殿があります。権殿とは社殿の造営・修復の時、神体を仮に移し安置しておく所のことで、仮殿(かりどの)である。伏見稲荷大社の権殿は1635年 江戸時代に再建されたもので、五間社流造(ごけんしゃながれづくり)。
* 正面から見て、柱と柱の間口が5つあり、横幅が広く造られている社殿のことをいいます。
権殿の北隣りにある鳥居をくぐり階段を上がっていくと有名な千本鳥居見えてきます。 ちなみにこちらの狐 右は玉を左は巻物をくわえています。
石段を上がっていくと、色々な摂社、末社があります。
*摂末社(せつまつしゃ)とは、神社本社とは別に、その神社の管理に属し、その境内または神社の附近の境外にある小規模な神社のこと。一般には、摂社はその神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社、末社はそれ以外のものと区別される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E6%9C%AB%E7%A4%BEより
途中に狐の像がまたありますが、なんとなく犬のような丸みのある狐。
千本鳥居
「赤い鳥居」といえば、すぐさま人々は「おいなりさん」を連想するほど、赤という色が人々の心情に深く染みとおっています。
http://inari.jp/trip/map01/
元来、稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱をもって彩色するのが慣習となっています。
この「あけ」という言葉は、赤・明・茜など、すべてに明るい希望の気持ちをその語感にもち、その色はまた生命・大地・生産の力をもって稲荷大神の“みたま”の働きとする強烈な信仰が宿っています。
崇敬者が祈りと感謝の念を奥社参道に鳥居の奉納をもって表そうとする信仰は、すでに江戸時代に興り今日の名所「千本鳥居」を形作っています。
なぜ「お稲荷さん」には鳥居がいっぱいあるの?
願い事が「通る」或いは「通った」御礼の意味から、鳥居を奉納する習慣が江戸時代以降に広がった結果です。現在は約1万基の鳥居がお山の参道全体に並んで立っています。
鳥居の後ろ側にはいつだれが奉納されたのか黒字で書かれています。大きな鳥居はやはり有名な企業の名前が多く、いい宣伝にもなるのかなあとも思います。
奥社まで、混雑なくまっすぐ歩いたので5分もかからず、着いてしまいました。
奥社奉拝所 おもかる石
奥社奉拝所
本殿の東方、千本鳥居をぬけたところ通称“命婦谷”にあり、一般には「奥院」の名で知られています。この奥社奉拝所はお山を遥拝するところで、稲荷山三ケ峰はちょうどこの社殿の背後に位置しています。
http://inari.jp/sp/map/spot_08/
*遥拝:遠くへだたった所から拝むこと。
当社に伝わる明応の遷宮記(1499)には「・・・東ニハ当社奥院トテ命婦形マシマス也」とあり、その創建の古さが偲ばれますが、規模の子細については不明。江戸時代にはその名を封戸所・供物所ともいっております。寛政6年の罹災後、規模を幾分大きくして造営されたのが現在の社殿で、昭和50年に社殿を後方の今の位置に移し、前に拝所が設けられました。
おもかる石
奥社奉拝所の右側後に、一対の石灯篭があります。この灯篭の前で願い事の成就可否を念じて石灯篭の空輪(頭)を持ち上げ、そのときに感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶い難いとする試し石です。
http://inari.jp/sp/map/spot_08/
修学旅行生が来てる時期には長蛇の行列でなかなか試す気にならないが、やってみると楽しいですよ。特に女性の方には、しっかり脇をしめて、足腰しっかり構えてやられたほうがいいと思います。よく石を持ち上げることに集中し過ぎて、願い事すること忘れている人もよくいますので、忘れずに。
もう少し歩いて本殿の方に戻りたい方はここからもう少し5分ほど行った先、下の写真の分かれ道にでますので左に行けば本殿、駅に戻れます。10分程度で本殿に戻れます。
ここからもう少し右方向 稲荷山に歩いていけば、5分程度で熊鷹社に行きます。途中、伏見稲荷大社のもう一つの大きな見どころお塚を見れます。少し坂を上がるので疲れるかもしれませんが、お塚は神秘的で一見の価値ありと思います。でもお疲れの方は、熊鷹社より上に行くのは少し覚悟したほうがいいと思います。
お山巡りへ進んでいきます。