清水寺 本堂 舞台
弁慶の鉄下駄と錫杖(しゃくじょう)
コロナ禍の前は本堂にいく通りに観光客が触れるように置いてあってその重さを楽しんでいましたが、今は角においてあり触ることができません。
本堂の屋根の檜皮(ひわだ)葺き替え(ふきかえ)工事が2019年末に完了
平成の大修理で檜皮の屋根も新しくなり、やっと舞台の全容が見えて、写真を撮ることができましたが、まだ完全に修復作業が終わっているわけではないです。なんとなく以前よりも全体的に屋根に丸みがあるような感じもします。
*檜皮葺とは,檜の樹皮で建物の屋根を葺くことです。
以前はこちらに出世大黒天
弁慶の鉄下駄と錫杖もあった。出世大黒天
大黒天とは七福神の内の一柱 で、福徳・財運などをつかさどります。 天部ー仏法を守護する諸尊(しょ そん)に属し、音が似ている大国主神と習合しました。
*如来・菩薩・明王・天など仏教上尊崇すべき存在の総称
国宝 本堂舞台 江戸初期
「清水の舞台」といわれ、本堂(国宝)の付属建築物で、平安時代の昔から構築されてきた。
現在の舞台組みは寛永十年(一六三三)徳川三代将軍家光の寄進による再建のままで、柵千親柱の金銅製
宝珠に「寛永拾歳」と銘刻されている。
本堂外陣(礼堂)の廊下から南の谷へ間口約18メートル、奥行約10メートルに、長さ5.5メートル、 幅30~60センチ、厚さ10センチの檜板を敷きつめ檜舞台として張り出し(舞台板は20~30年毎に張り替える)床下は巨大な欅の柱に貫を縦横に通し楔でとめて頑強に支え、いわゆる舞台造りになっている。
*楔:木や金属で、一端が厚く他端に至るにしたがって薄くなるように作ったもの。
建築学的には、懸造りといい、礼堂の下から長短の欅柱で構築されており、観音様のお住まいと
される南インドの峻険な補陀落(ポトラガ)山中の宝殿に実に似つかわしい。最南端は錦雲渓の急崖に13メートル強の高さで建ち「清水の舞台から飛び下りるつもりで…」の諺を生んできた。
「本来は本堂に奉祀する御本尊 千手観音様に向って舞楽を奉納する、名実共に「舞台」で、現に重要な法要には舞楽、芸能などを奉納している。東、西両側の翼席は、その楽人たちの詰める楽舎である。
この舞台からの、錦雲渓をへだてた向山の子安の塔と阿弥陀ヶ峰の眺めや、京都市街、西山の遠望は、まことに見事である。
左下方には、清水寺」の寺名を由来する音羽の滝がこんこんと三筋の清水を流し、その上まには同じく舞台造りで奥の院(重要文化財)が建つ。
子安の塔と阿弥陀ヶ峰の眺め 音羽の滝 奥の院