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天龍寺③ 曹源池~北門

曹源池~多寶殿~北門出口

曹源池(そうげんち)

世界文化遺産 史跡・特別名勝 天龍寺十境 
曹源池

開山・夢窓国師の作庭 左手に嵐山、正面に亀山・小倉山、右手遠景に愛宕山を借景にした池泉回遊式庭園で、優美な王朝文化の大和絵風の伝統文化と宋元画風の禅文化とが巧みに融け合った庭ある。
正面の枯山水の三段の石組は龍門の滝といい、これは中国の故事に由来する。
手前の石橋は 日本最古の橋石組で右の石組は釈迦三尊石と称し、釈迦如来(中央)、文殊菩薩(左側)、普賢菩薩(手前下側)を表現している。
曹源池の名称は国師が池の泥をあげた時、池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられた。 平成六年(1994)ユネスコより世界文化遺産に認定登録された。

駒札より

龍門亭の入り口付近に「一滴の碑」が建っています。禅の神髄を指す言葉に「曹源(そうげん)の一滴水」があります。禅宗の事実上の開祖とされる慧能(えのう)は、曹渓(中国の広東省)に住んでいた
ことから「曹渓」とも呼ばれ、慧能によって禅法が大成したことから、慧能を一滴の源泉と見なして、禅法の源泉を「曹源」と称されます。

方丈 室内

後醍醐天皇聖廟多寶殿

多宝殿
此の地は禅宗最初の道場檀林寺の旧跡にして後嵯峨、亀山両天皇が離宮を造営せられた所で後醍醐天皇が御幼少の頃勉学せられ御成人せられた跡です。延元四年(1339)天皇が吉野の行宮ではるか京都を望みお隠れになったので光厳上皇は院宣を下して御菩提のために離宮を革めて禅刹天龍寺とされました。創建以来八回の火災に遭い、昭和九年当時の官長精拙和尚が現在の聖廟多寶殿を完成しました。建築様式は吉野朝時代の紫宸殿づくりで中央に後醍醐天皇の御尊像を両側に歴朝天皇の尊碑が奉安してあります。

望京の丘からの展望

平和観音と愛の泉

天龍寺 開山 夢想国師の母は観音菩薩の霊夢を蒙り国師を生む。
国師は成長の後、常に観音菩薩を信仰し念持佛とせられる。
この観音像はむかし中国より伝来したものです。国師は南北両朝の和平につくし、いつの世にか平和観音と称するに至った。
この泉は八十米の地下より湧き出づる霊泉にしてこれを喫する者は「愛と幸」を受くると伝えられ「愛」の泉と称します。

硯石の由来

硯石の由来: 明治32年當山第3代管長 峨山和尚が選仏場(坐禅堂)を法堂として再建されたとき、その天井に仏法を守護すると言われる「龍」の大画を「鈴木松年」画伯に依頼しました画伯は修行僧が60余人がかりで摺った墨をもって、大筆で一気に勇壮な雲龍図を描きあげました。

百年を経て、松年画伯の龍は姿を消し、代わって平成9年加山又造画伯によって新しい龍が描かれ現在に至っていますが、この硯石は、峨山和尚・松年画伯二老の遺徳を偲ぶよすがとして今に残されています。巷間、誰というともなく硯石を拝すると書画が上達すると伝え広まり全国各地から訪れる人が絶えません

竹林 北門出口

北門参拝受付 入り口 竹林の小径

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