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清水寺 仁王門~三重塔

清水寺 仁王門~三重塔

清水の伽藍は室町時代に全焼。 室町期に焼失した伽藍のほとんどが徳川家光による寛永の大造営(1631-1633)の間に復元されています。

巡る | 音羽山 清水寺
京都府京都市。「清水の舞台」で知られる寺院。北法相宗の本山(一寺一宗)。縁起、年中行事、境内案内。

仁王門 西門

仁王門は清水寺の正門です。応仁の乱よって焼失され、16世紀初めに再建、2003年に解体修理されました。幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、再建当時の特徴を示する楼門です。

祥雲青龍

清水寺で行われる青龍会(せいりゅうえ)誕生から15年に当たり、それを記念して造られたそうです。京都は四神相応の地とされ、北の船岡山を玄武、南の巨椋池おぐらいけ朱雀すざく、西の山陰道を白虎、東の鴨川を青龍が守っています。

仁王門 西門からの景色

重要文化財 西門さいもん  江戸初期
寛永八年(一六三一)の再建。三げん、正面八・七m、側面三・九m の優雅な八脚門で、西面して急な石段上に建つ。
 単層,切妻きりつま造り、桧皮ひわだき屋根で 正面には向拝こうはいをつけ、七段の木階を設け、床と共に高欄をめぐらし、背面にはのき唐破風からはふを架ける大層珍しい形式になる。軒は二重繁垂木しげたるき、斗(ます)ぐみは和様一手先ひとてさきでぐ出組み。左右の脇間に鎌倉様式の写実性と量感ゆたかな持国天と増長天の立像を奉祀する。

開放されている中央の間は立派な折上おりあげ小組こぐみ格天井ごうてんじょうとなり、また随所に勝れた蟇股かえるまた虹梁こうりょう・木鼻などを多く備え、平成五年(一九九三)丹塗りと極彩色文様が復元され桃山様式の華麗さを再現している。拝殿風の華美なこの門からの京都市街・西山の眺望は素晴らしい。勅使門にも使われたが、絶好の洛中展望台とされ、かつ西山に沈む夕日の見事さに西方極楽浄土を観想する日想観拝所となったとも考えられる。前方の仁王門と二門が相並び立つ趣向は格別に意味深長である。

 *日想観は時と場所を選ばないもっともシンプルな修行法です。西の空に沈む夕暮れの太陽を見つめ、朱く染まった空に極楽浄土を想うだけで、観音さまの教えを体感することができます

北法相宗清水寺

三重塔

重要文化財 三重塔

 この塔は 当山ご本尊観世音菩薩の御霊験よって嵯峨天皇の皇子ご生誕あり 承和十四年(八四七)葛井親王が勅命を奉じて創建されたと伝える。現在の塔は寛永九年(一六三二)の再建で、日本最大級の規模をもち、三間四方、高さ二九.七mに達す。昭和六十二年(一九八七)文化庁の助成をえ、京都府教育委員会に委託して解体修理、彩色復元の落慶をみた。一重内陣の中央に大日如来坐像を安置し、四面の壁に真言八祖像四天丸柱に密教的な仏画を描き、柱は雲天竜、天井その他は飛天 、華型幾何文様が極彩色で全面荘厳されている。なお今回の修理で全重を総丹塗りに戻し、他塔にその類例を見ない 各重の丸桁 台輪長押などの各種極彩色文様をすべて寛永の昔に復元した。

一重で見ると、軒下の丸桁の両端は摩喝魚(まかつぎょ)中央は「金剛盤に宝珠」中段の台輪の両端は出八双卍崩円竜」中帯は「向い蝶」下方の長押の両端は入八双若芽唐草」中帯は「四弁花羯磨繋」の文様になっている。 

北法相宗清水寺 

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