金閣寺の庭園
池泉回遊式庭園 鏡湖池
金閣寺の庭園は、衣笠山を借景とし鏡湖池を中心とした池泉回遊式庭園。
*池泉回遊式庭園 *日本庭園の形式のひとつで、園内を回遊して鑑賞する庭園
*借景式庭園 *日本庭園や中国庭園における造園技法で庭園の構成に背景景観を取り入れる
鏡湖池は鏡のように金閣を映しだします。
葦原島(あしはらじま)
鏡湖池の真ん中にある一番大きな島が、葦原島と呼ばれている。
松や石組のほかにも石燈篭があります。この葦原島は神仙思想のもとに造られた島であり、神話言葉で”豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)”という日本国を表すことばがあり、葦原島は日本国を表現して造られたともいわれているとのこと。
*神仙思想:蓬萊(仙人が住むといわれていた仙境の1つ)など超自然的な楽園と、そこに住む神通力をもった神仙の実在を信じる中国古代の民間思想。 この信仰に基づいて不老不死の薬が探索され、養生法が説かれた。
方丈(ほうじょう)
金閣寺の本堂にあたる。1678年、後水尾天皇の寄進により再興された。
*方丈:禅宗寺院建築で本堂,客殿,住職居室を兼ねるもの
本尊、聖観世音菩薩坐像が安置されている。
陸舟の松(りくしゅうのまつ)
方丈の庭園にある陸舟の松は樹齢600年で、義満遺愛の盆栽だった五葉松から移したものと伝わる。極楽浄土に向かう舟を表す。
銀河泉(ぎんがせん)
義満がお茶の湯につかったとされる小さな泉。
巖下水(がんかすい)
義満がお手洗いとして使った水。
龍門の滝(りゅうもんのたき)
鯉が滝を登りきると龍になるという、中国の故事「登竜門」に因んで、滝つぼには鯉魚石が置かれています。
安民沢(あんみんたく)
金閣の北の一段高い場所にある、西園寺家の別荘時代の遺構と言われている池。池の真ん中に、西園寺家の鎮守 と言われている白蛇の塚という名の多宝石塔がある。白蛇は古くは水神様として信仰されており安民沢にも守り神として白蛇の塚が建てられている。*弁財天(弁天様)水の神様にして芸能の神様で弁天様のお使いは蛇。
干ばつの時でも安民沢の水はなくならず、湧き出ていたとのこと。
夕佳亭(せっかてい)
夕暮れ時に、ここから金閣を眺めると、太陽が金閣の西の方へ沈み、美しい景色が眺められたのだろう。江戸時代の住職が、後水尾法皇を迎えるために当時の茶道家である金森宗和に造られたもので、数寄屋造りの趣のある茶室である。明治に焼失したため、現在の建物は1874年(明治7年)に再建されたものです。
* 数寄屋造りとは、日本の建築様式の一つである。数寄屋風を取り入れた住宅の様式とされる。 語源の「数寄」とは和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことであり、「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味する。
富士型手水鉢(ふじがたちょうずばち)
3代目義満公の孫、8代目将軍義政公遺愛品。
夕佳亭の前にあり、茶室に入る前に、手を洗うために使われるもの。手水鉢は蹲踞(つくばい)ともいいます。8代目の義政公は東山に銀閣寺を建てましたが、金閣寺を参考にして、銀閣寺を建てたといわれています。
貴人榻(きじんとう)
夕佳亭の横にある低い岩で、「榻」とは腰掛けのこと。貴人榻、文字どおり、身分の高い人の腰掛けとして使われていたもの。室町幕府より移設。
金閣寺不動釜茶所(きんかくじふどうがまちゃしょ)
不動堂の近くにある茶屋、店内でも店外でも良い雰囲気で金箔の入った和菓子とお抹茶のセットが500円で楽しめます。お菓子は金閣と鳳凰が型押しされ金粉がのっている金閣らしいお菓子です。
不動堂(ふどうどう)
金閣寺の前の西園寺の別荘時代にも不動堂の名があったといわれています。義満没後は荒廃したが、天正年間(16世紀後半)に宇喜田秀家によって再建されたという。 不動堂には江戸時代からすでに秘仏とされている御本尊、不動明王立像(石不動)があります。石室に安置され、普段石室の入り口は扉で閉ざされているそうです。あともう一体、鎌倉時代に造られた木造の不動明王立像もあり、もとは西園寺家が所有していたものと言われています。
* 不動明王: 密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守ります。