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銀閣寺(慈照寺)① 総門~銀沙灘

総門~銀閣(観音殿)~向月台~銀沙灘 

銀閣寺 | 臨済宗相国寺派
正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。名の由来は金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。

慈照寺(銀閣寺)の由緒

 東山とうざん慈照寺と号する臨済宗相国寺派の寺で、足利義政公の隠居所「東山殿ひがしやまでん」を遺命によって寺としたものである、平成六年(一九九四)に世界文化遺産に登録された。
 東山殿は、文明ぶんめい十四年(一四八二)から建設が始まり、東山文化の粋を尽くした数々の仏殿、住宅や庭園が造られた。しかし、永録えいろく元年(一五五八)の兵火により観音殿かんのんでん銀閣)と東求堂とうぐどう(ともに国宝)を残して建物が焼失し、元和元年(一六一五)に現在の寺観が整えられた。
 銀閣は、延徳元年(一四八九)建立の柿葺こけらぶき二層建てで、下層は心空殿(しんくうでん)と呼ばれる書院造しょいんづくりの住宅、上層は観音像を安置する潮音閣(ちょうおんかく)と呼ばれる禅宗様仏殿となっている。実際には銀箔は貼られなかったが、北山鹿苑寺ろくおんじの金閣に対し、一般に銀閣と呼ばれている。金閣に比べて枯淡幽雅な特色が見られ、東山文化を代表する名建築である。
 東求堂は、文明十八年(一四八六)建立の義正公の持仏堂で、日常生活のための住宅の遺構としては最古のものといわれ、内部には仏間や同仁斎(どうじんさい)などがある。同仁斎は茶室の原型・源流ともいわれるが、元来は書斎である。
 庭園(国の特別史跡及び特別名勝)は、西芳寺(苔寺)の庭園を模して義政公が作ったものといわれ、上段石組(いわぐみ)、下段池泉回遊式の二段から成り、銀閣とよく調和した名園である。 

京都市

世界遺産「古都京都の文化財」

 慈照寺は,足利義政が文明14年(1482)に東山山麓に造営した別邸東山殿を,義政の死後禅寺に改めたものです。東山殿は西芳寺をモデルに造られ,池を囲むように観音堂(銀閣),持仏堂(東求堂)などの建物が配されて,文化人のサロンとして賑わっていました。その後,一時荒廃しましたが,17世紀中期に復興されました。
 銀閣は,長享3年(1489)建築の二層の楼閣で,下層は和洋書院風,上層は禅宗様仏堂風につくられています。
 東求堂は守護仏をまつる持仏堂書斎を兼ねた建物で,文明17年(1485)に建てられました。背面東側にある4畳半の「同仁斎には現存最古の付書院と違棚が設けられており,書院造の源流と位置づけられています。
 また庭園は,戦国時代に荒廃していたのを元和元年(1615)の復興時に改修したものと考えられており,池を中心に多くの名石・樹木が配された池泉廻遊式で,石組の細部などにきめ細かい意匠が凝らされています。
登録年月日 平成6年(1994)12月15日決定、17日登録 

京都市

総門

銀閣寺垣 受付

中門 庫裡前庭

銀閣(観音殿)

八幡社

向月台(こうげつだい)

銀沙灘(ぎんしゃだん)

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