唐招提寺 醍醐井戸-御影堂
醍醐井戸 本坊 開山堂 御影堂
醍醐井戸
本坊 蓮の花
本坊本坊 蓮
開山堂 訶梨帝母社
開山堂鑑真大和上 御身代わり像訶梨帝母社北原白秋 歌碑
御影堂 (平成大修理)
唐招提寺 講堂
講堂 鼓楼 礼堂-東室 宝蔵-経蔵
講堂
講堂鼓楼 礼堂金堂
朝廷から朝集殿を移築した講堂は、現存している唯一の平城宮建築例です。
鼓楼
鼓楼鐘楼
東室-礼堂
東室-礼堂松尾芭蕉句碑
宝蔵-経蔵
宝蔵-経蔵宝蔵経蔵
唐招提寺 金堂
南大門から金堂
南大門を通り伽藍に入ると、参拝道が真っ直ぐ金堂に続き、落ち着いた色合いの大きくて延びやかな屋根が見えます。
南大門前
南大門金堂世界遺産石碑境内全体図蓮の花説明
寺務所 弁天社
寺務所弁天社
蓮の花
金堂
金堂は奈良時代(780年頃)に建立された現存する唯一の本格的な金堂遺構として、寺院建築の研究にも非常に貴重な存在です。均衡のとれたその美しい軒を支える太い8本の円柱は、アテネのパルテノン神殿に比べられるほどです。
素晴らしい外観とともに、金堂の中には仏教的な宇宙観を現す盧舎那仏坐像など、9体の仏像が安置されています。その中でも1OOO本の腕を持つ千手観音像は、木造のものでは国内最大最古のひとつです。
薬師寺 玄奘三蔵院
北門から玄奘三蔵院
薬師寺北門 與楽門(よらくもん)
與楽門よらくもん
玄奘三蔵院 大門
冠木門 本坊寺務所
冠木門かぶきもん本坊寺務所
玄奘三蔵院伽藍(げんじょさんぞういんがらん)
礼門(らいもん) 玄奘塔(げんじょとう)
玄奘三蔵院伽藍げんじょさんぞういんがらん礼門らいもん玄奘塔げんじょとう
西ノ京駅から
西ノ京駅突当りが北門
薬師寺 南門
南門の外
南門前 社号標 寿吉屋
稲荷神社前から見た南門乾川 秋篠川の支流社号標 世界遺産石碑南門前の通り寿吉屋じゅきちや
当時は第40代天武天皇の発願によって飛鳥の地、藤原京に建立(680)され、その後平城遷都に伴って養老二年(718)平城右京六条二坊(現在地)へ移された。 金堂本尊薬師如来像に、日光・月光両菩薩像、東院堂本尊聖観世音菩薩像と何れも円満相好な美しさを白鳳時代の優雅な鋳金技法で表現している、これらは比類なき仏像と仰がれ、全て国宝である。また金堂本尊薬師如来台座は珍重な図様彫刻として名高く国宝に指定されている。 東塔は創建当時からの唯一の遺構で頂の水煙は実に美しい。インド渡来で日本最古の仏足石と萬葉仮名三十八文字からなる二十一首の歌が鮮明に刻まれた仏足跡歌碑は修正会本尊である吉祥天女画像と共に天平時代各分野の典雅である。
薬師寺の歴史
薬師寺は法相宗の大本山。天武天皇が680年、皇后(後の持統天皇)が病にかかった時、病平癒のために発願した寺です。686年に天武が亡くなった後も、持統天皇によって造営が進められました。平城京に遷都に伴い、薬師寺は平城京の右京(現在の位置)に遷されました。以後、南都七大寺(東大寺、興福寺、西大寺、薬師寺、唐招提寺、元興寺、大安寺)の一つとして栄えました。しかし幾多の災害で伽藍が倒壊・焼失、特に享禄元年(1528)の兵火により、創建当時の伽藍は、東塔を残すのみとなりました。昭和43年からお写経勧進による白鳳伽藍復興事業が始まり、西塔(さいとう)、中門、回廊、大講堂、食堂(じきどう)と白鳳伽藍の主要な堂塔はおおよそ復興されつつあります。
南門の内
南門の受付で拝観料 800円 (金堂・大講堂・東院堂)を納めて境内の中に進んでいくとすぐに「手水舎」青銅製の大きな水鉢が設置されています。その正面に「六根清浄」の文字が記されています。*六根:六識を生じさせる六つの感覚器官。眼・耳・鼻・舌・身・意の総称身心ともに清浄してから参拝です。
手水舎 平木大明神 弁財天社 若宮社
手水舎六根清浄平木大明神社 弁財天社若宮社
中門
ニ天王像
西塔 釈迦八相図 釈迦が悟りを開いた後の「果相」と呼ばれる4面
釈迦八相図並びに東西両塔図かつて、東塔には「因相」として入胎・受生・受楽・苦行、西塔には「果相」として成道・転法輪・涅槃・分舎利の八相像が安置されていたことが、『薬師寺縁起』に記されています。この特別写経はそれにちなみ、お釈迦さまの尊いご生涯を順番にたどっていただく釈迦八相図と東西両塔図の佛画が、見返し扉絵として色彩装飾されております。https://www.yakushiji.or.jp/osyakyo/toto.html