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薬師寺 南門

南門の外

南門前 社号標 寿吉屋

当時は第40代天武天皇の発願によって飛鳥の地、藤原京に建立(680)され、その後平城遷都に伴って養老二年(718)平城右京六条二坊(現在地)へ移された。
 金堂本尊薬師如来像に、日光・月光両菩薩像、東院堂本尊聖観世音菩薩像と何れも円満相好な美しさを白鳳時代の優雅な鋳金技法で表現している、これらは比類なき仏像と仰がれ、全て国宝である。また金堂本尊薬師如来台座は珍重な図様彫刻として名高く国宝に指定されている。
 東塔は創建当時からの唯一の遺構で頂の水煙は実に美しい。
インド渡来で日本最古の仏足石と萬葉仮名三十八文字からなる二十一首の歌が鮮明に刻まれた仏足跡歌碑は修正会本尊である吉祥天女画像と共に天平時代各分野の典雅である。

薬師寺の歴史

薬師寺は法相宗の大本山。天武天皇が680年、皇后(後の持統天皇)が病にかかった時、病平癒のために発願した寺です。686年に天武が亡くなった後も、持統天皇によって造営が進められました。
平城京に遷都に伴い、薬師寺は平城京の右京(現在の位置)に遷されました。以後、南都七大寺(東大寺、興福寺、西大寺、薬師寺、唐招提寺、元興寺、大安寺)の一つとして栄えました。しかし幾多の災害で伽藍が倒壊・焼失、特に享禄元年(1528)の兵火により、創建当時の伽藍は、東塔を残すのみとなりました。昭和43年からお写経勧進による白鳳伽藍復興事業が始まり、西塔(さいとう)、中門、回廊、大講堂、食堂(じきどう)と白鳳伽藍の主要な堂塔はおおよそ復興されつつあります。


南門の内

南門の受付で拝観料 800円 (金堂・大講堂・東院堂)を納めて境内の中に進んでいくとすぐに「手水舎」青銅製の大きな水鉢が設置されています。その正面に「六根清浄」の文字が記されています。
*六根:六識を生じさせる六つの感覚器官。眼・耳・鼻・舌・身・意の総称
身心ともに清浄してから参拝です。

手水舎 平木大明神 弁財天社 若宮社
中門
ニ天王像
西塔 釈迦八相図 釈迦が悟りを開いた後の「果相」と呼ばれる4面

釈迦八相図並びに東西両塔図
かつて、東塔には「因相」として入胎・受生・受楽・苦行、西塔には「果相」として成道・転法輪・涅槃・分舎利の八相像が安置されていたことが、『薬師寺縁起』に記されています。
この特別写経はそれにちなみ、お釈迦さまの尊いご生涯を順番にたどっていただく釈迦八相図と東西両塔図の佛画が、見返し扉絵として色彩装飾されております。

https://www.yakushiji.or.jp/osyakyo/toto.html
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