清水寺 奥の院
寛 永 8 年( 1631 )再 建 。一見簡素な造りですが 、内 部は朱い漆 塗りの円 柱の来迎柱や、極彩色を施された長 押 、貫 、遊 飛する天 女の天井画などが 装 飾されています。中 央の黒い漆 塗りの須弥壇上には釈迦三尊をお祀りしています。昭 和 4 7 年( 1972 )に豪 雨で倒 壊しましたが 、その3 年 後に復 旧されました。
百体地蔵堂
釈迦堂と阿弥陀堂の間の奥に建つお堂 。子供を亡くした親たちが、我 が 子に似た地 蔵を探し、篤く信 仰しているといわれています。夏の地蔵盆会では賑わいを見せます。
阿弥陀堂
江戸時代初期の1631年の再建。浄土宗の開祖・法然上人が日本で最初に常行念仏道場とした場所であることから、法然上人二十五霊場第十三番札所として多くの参拝者が訪れます。本尊は阿弥陀如来。入母屋造り、桟瓦葺の建築様式です。(重要文化財)
奥の院
「音羽の瀧」の真上に建ち、現在の建物は、本堂と同時期の1633年に再建されました。2017年に修復が完了しました。本堂と同様の懸造りです。
奥の院から見た本堂 舞台 京都市内 景観
「清水の舞台から飛び降りる」
清水寺本堂の舞台から飛び降りるほどの覚悟で物事を実行する決意をあらわした言葉です。
本堂から張り出した「舞台」の高さは約13メートル。これは4階建てのビルに相当します。本堂は音羽山の急峻な崖に建築されています。これは「懸造り(かけづくり)」と呼ばれる日本古来の伝統工法で、格子状に組まれた木材同士が支え合い建築が困難な崖などでも耐震性の高い構造をつくり上げることを可能にしています。舞台を支えているのは、床下に建てられた18本もの柱です。樹齢400年以上の欅を使い、大きいもので長さ約12メートル、周囲約2メートルを超える柱が整然と並んでいます。その縦横には何本もの貫が通されています。木材同士をたくみに組み合わせたこの構造は「継ぎ手」と呼ばれ、釘を1本も使用していません。現在の舞台は1633年に再建されたものです。歴史上、幾度もあった災害にも耐え、今も日々多くの参詣者で賑わう舞台を支え続けています。
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